
冷戦終結以降、世界では米国がヘゲモニーを握り「世界の警察」と言われてきたが、近年はアメリカの退潮に伴う世界の多極化により、各地で紛争や内戦の絶えない不安定な情勢が続いている。一方でグローバリゼーションも進行し、国境を越えた人と人との交流は絶えない。よって現代世界では、邦人が紛争地域に取り残されるリスクが非常に高くなっている。
今からおよそ3年前の2022年2月24日、ロシアが突如としてウクライナに侵攻した際も、現地では多くの邦人が生活していた。塾生の前原剛氏もその一人である。前原氏にウクライナへ移住した理由や戦時下でのエピソード、戦争体験に根差した現在の取り組みについて聞いた。
ウクライナは起業の地として至適
―なぜウクライナへ移住されたのですか。
第二次世界大戦中、欧州の地でユダヤ人を救った外交官に杉原千畝という日本人がいます。親族である彼への憧れが自然と私を世界へ誘いました。「グローバルに活躍する起業家になりたい」そんな想いを持ちながら、純国産のスタートアップの海外展開はうまくいっていない現状があります。はじめから海外に拠点を置くことを考え、たどり着いたのがウクライナでした。
ウクライナは旧ソ連構成国で、ソ連の宇宙開発の拠点となっていたこともあり、優秀な理系の人材が多い一方で、物価が非常に安くコスト面でも利点があります。それを示すように、ウクライナからはGrammarlyやGitLabといったグローバルなテックスタートアップ企業が生まれています。シリコンバレーで有名な起業家の共同創業者にもウクライナルーツの技術者は多く、このようにウクライナの持つネットワークを活用して起業することはメリットが多いのではないかと考えます。
―現地では具体的にどのような活動をされていましたか?
現地のイノベーションパークである『UNIT,CITY』のプログラムに応募しました。UNIT.CITYには多国籍の投資家・メディアが集まり、研究センターや育成プログラムが用意されています。自身はそこでエンジニアリングとインキュベーションプログラムに参加し、現地の起業家との交流などに着手したのですが、その矢先にウクライナ侵攻が始まってしまい、苦労のわりに成果を得ることは叶いませんでした。
戦争は極限のリアリティを持つ
―ウクライナ侵攻当初の様子についてお伺いしたいです。
ロシアがウクライナに侵攻したのは2022年の2月24日ですが、ウクライナ国内では上旬ごろから戦争の可能性があると盛んに報道されていました。そのため一度ポーランドに避難し、そこで情勢を見極めることに決めます。
しかし、2月中旬になっても一向に開戦の気配はなく、UNIT.CITYのプログラムも進んでいたため、結果的に開戦前日となった(当然予想できないもの)2月23日夕方のフライトでウクライナの首都キーウにある自宅に戻ってしまいました。
そして当日、侵攻開始から4時間後の現地時間午前8時に起床、ロシアの侵攻を知りました。街の様子は完全にパニックで、telegramやニュースの報道も錯綜し、何が正しい情報か全くわからない状況で、まず行ったことは、スーパーに行き食料を調達することでした。しかし家もいつミサイルや空爆で攻撃されるかわからず、一方でシェルター内にてロシア軍によるテロが起きる可能性も捨てきれません。悩んだ末シェルターに避難し、当面の危険をなんとかやりすごしました。
―帰国までの間は何をなさっていたのでしょうか。
ウクライナの軍人などの助けも借り、無事に列車でポーランドに脱出することができました。日本に帰国したのは同年夏頃ですが、帰国までの間はポーランドで難民支援のボランティアなどをこなしながら、自身のメンタルケアのため穏やかに過ごしていました。
―難民の方との交流で感じたことはありますか。
ひとことで言えば、戦争にきれいごとはない、ということです。ウクライナでは成人男性の出国が禁じられているので、難民は全員女性と子供です。そのため、彼女らは新天地で夫の帰りを待ち続けるか、それとも別の人と結婚するか、という話を真剣にしていました。
後方で見ている日本人は、旦那を捨てるなんてひどい、と感じるかもしれません。しかし、当事者は生き抜くためにそれを選ばなくてはならないのです。平和の中に生きる日本人の感覚では理解することができないようなリアルがそこにはありました。
(後編はこちらから)
(山田裕介)