
この春から、私は大学3年生になる。入学式はもう2年も前のことで、あっという間に大学生活も残り半分となっていた。「学生」という殻が少しずつ剥かれ、カメラのピントが合うように自分の将来が次第に鮮明になっていくことに、胸が躍るどころか恐ろしさを感じてしまうのは、私だけだろうか。
10歳を迎える半成人式で、私は声高々と「先生になりたい」と語った。中学生で職業の適性診断を受けた時には、医師・アナウンサー・弁護士などの結果に並ぶ文字から、様々なありうる人生を想像した。強欲ながら、「人生、一つじゃ足りない」と本気で思っていた。そして高校生のとき、文系を選び、弁護士を志して法学部に進学すると決めた。
かつての夢を回想していて、ふと気が付いた。最近、将来のことを考えるとどうしてか暗い気持ちになっている。将来について考える時、もはや夢を見ることはなく、いかに賢く取捨選択を行い、人生の終着点までの計画を周囲よりも上手く立てられるかを考えている。
いつから夢を見たり、語ったりするのをやめてしまったのだろう。それは心躍ることだったはずなのに。能力の限界を薄々感じ始めてしまったからだろうか。現実的な視点を持ち始めたからだろうか。これが「大人になる」ということなのだろうか。誰しもが数多の選択を経て今があるのだろう。それなのに、これまでの選択が私の人生の道幅を着々と狭めてきているように感じることもある。
人生の交差点と言われる大学生のこの春、それでもやっぱり将来のことは心を躍らせながら考えたいと私は思う。子どもっぽいだとか、妄想家だとか思われてもいいから、私はまだ夢を見たい。そう思うのは、春の陽気のせいだけではないはずで、きっと私だけでもないはずだ。
(龍本千裕)