6月のはじめに行われたジャパンパラリンピック兼日本選手権大会。T44(下腿切断)100m決勝の舞台に高桑早生(総2)はいた。優勝すればロンドンパラリンピック出場が決まる緊張の瞬間だった。
高桑さんは中学生の時、病気で左足を失った。義足になった後も球技を続けていたが、高校入学とともに新しいことにチャレンジしたいと考える。そんな折、懇意にしている義肢装具士の方が陸上競技を紹介してくれた。「自分の体一つでできるんだ」。高桑さんはいつしかこの競技に魅了され、義足のトップアスリートへと成長していった。
昨年9月のジャパンパラリンピックにて自己ベストとなる100m13秒96を記録した高桑さん。ロンドンパラリンピック選考大会の一つであるこの大会。そこで自身初となる13秒台を出し、夢にまでみたパラリンピックが眼前まで迫っていた。
狙って出したという、13秒台のタイム。出た時は素直に嬉しかったが、冷静になったとき疑念が湧いた。「あの時は条件が良かったからタイムが出たように思えた。自分の力で出したような気がしなくなって、もう一度自分だけの力で13秒台を出そうと思った」
それから約1年。高桑さんはまたパラリンピック選考大会の場に立った。決勝レースの隣のレーンには日本記録保持者の中西麻耶選手がいた。ロンドンに行くためには彼女に勝たなくてはならない。号砲とともに高桑さんは思い切り飛び出した。「中西選手に競り勝って、優勝した時にやっとここまで来たと思った。尊敬する存在だった中西選手とライバルとして肩を並べることができて単純に嬉しかった」
また同時にパラリンピック出場が決まったことについては「嬉しいよりもほっとした気持ちだった。競走部の仲間や、周囲の人にお祝いの言葉をかけてもらって、やっと実感が湧いた」という。
同時に、課題も見えたと語る高桑さん。「義足を用いて走るとき、それは地面に足がついているかわからないところから始まる。今はその義足の使い方が大きな課題。世界で戦える選手になるため、パラリンピックに向けて技術面を修正していく」
そんな高桑さんにとって陸上競技とは。「自分の失った足を人生の面で補完してくれるもの。義足でなければ陸上競技を初めていなかったし、陸上競技がなければ義足でもこんなに生き生きしていなかった。かけがえのないものになっている」
パラリンピックの目標は最低でも入賞。彼女ならロンドンの地で必ずやその夢を叶えてくれるだろう。
(米田円)