無限の可能性を秘めた宇宙。大昔から、人類は空を見上げ、宇宙に関心を持ち、さまざまな観測や研究を行って宇宙の謎を解き明かそうとしてきた。現在、米国、日本を始めとする15カ国が協力して宇宙開発を進める中、日本の果たす役割は重要なものとなってきている。
来年初夏頃から、ソユーズ宇宙船(TMA―06M)に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在する予定の星出彰彦氏。同氏は慶大理工学部機械工学科を卒業した塾員である。そんな星出飛行士に、塾生時代の思い出や宇宙飛行士を志した経緯を伺った。
幼いころ、アメリカに在住していた星出氏。当時スタートレックを見て、父親にケネディー宇宙センターに連れて行ってもらった。「その時は単純に、宇宙ってかっこいいなと思った。今思うとその時から宇宙への憧れがあったのだと思う」と話す。 星出氏が高校の時に、毛利衛氏、向井千秋氏、土井隆雄氏が日本人初のペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)宇宙飛行士として選ばれた。「宇宙飛行士が職業として成立するという認識は、その時はまだなかった。選ばれたけれど、日本人宇宙飛行士は最初で最後だろうと冷めた印象を持っていた」という。しかし、続いて第2期生を募集する可能性があるという新聞記事を読み、定期的に募集するのであれば職業にすることができるのではないかと期待。将来の進路として初めて宇宙飛行士を意識し始めた。
塾生時代、理工学部体育会ラグビー部に所属していた星出氏。勉強よりもラグビー主体の塾生生活を送っていたという。 学業では、前田昌信・菱田公一先生の研究室の出身で流体力学を学んだ。「宇宙飛行士になるために、大学で特に何を勉強していいか分からなかった。理系の学生として淡々と大学で学んでいた」と当時を回想する。 大学4年生の夏に、宇宙飛行士2期生の募集がかけられた。宇宙飛行士の応募資格として、自然科学系の大学卒業以上、実務経験3年以上というものがある。「応募条件を満たしてはいなかったが、宇宙飛行士になれる可能性があるのなら諦めきれなかった」と語る星出氏。やるからには誠意をみせるべきとの父の助言から、宇宙開発事業団(現JAXA)の会社窓口まで直談判をしに行った。応募資格の壁を乗り越えることができずにその時は断念。しかし、やはり宇宙に携わる仕事がしたいと宇宙開発事業団に就職し、H―IIロケットの開発監督や宇宙飛行士訓練計画の開発などの技術支援業務に従事した。また会社で留学できる制度を利用してヒューストン大学で宇宙工学を学ぶ。その後1999年にISSに搭乗する日本人宇宙飛行士の候補者として選定され、2001年ISS搭乗宇宙飛行士として認定された。 星出氏が宇宙でのミッションを行うのは2012年の任務で2度目になる。1度目は2008年のミッションで、約2週間の滞在期間中にISSに「きぼう」日本実験棟船内実験室を取り付ける仕事をした。
「シャトルが打ち上げられるとき、かなり緊張すると思ったのだが、意外といつも通りだった。周到に準備してきたことと、家族のようにずっと長い間過ごし、訓練してきた宇宙飛行士の仲間たちがいたからリラックスできた」という。 「宇宙に行くまで、先輩宇宙飛行士たちから地球が美しいという話は何回も繰り返し聞いてはいたが、いざ宇宙へ行くと、想像をはるかに超えて地球はきれいだった」と星出氏は当時を振り返る。「映像や写真で受ける印象と全く違う。これは体験しないと分からない。自分の目で、その場で見ることでしか感じることができない美しさだと思う」と話す。
「宇宙は重力がないので、寝るときはぷかぷか浮かないように寝袋を固定して寝るんです。滞在中はいろいろな姿勢で寝てみました」と星出氏。「きぼう」の船内の窓際に寝袋を固定して地球を眺めながら寝るのが一番のお気に入りだったという。「寝る前に好きなだけ地球を眺めて、眠くなったら窓を閉めて寝ていました」
星出氏は、「次のミッションでは、宇宙でしかできないさまざまな実験をする予定」と目を輝かせて語る。「前回はタイミングが合わず見ることができなかったが、『きぼう』から日本を見ることができたらいいな」と続けた。
最後に慶大生に向けて「勉学も大事ですが勉強だけじゃだめ。幅を広げ、仲間を作ることが大事です」とした上で、「宇宙飛行士は一人で宇宙に行くことができない。チームワークが不可欠で仲間の大事さを学ぶことがとても多かった。かけがえのない仲間を作り、悔いのない塾生生活を送ってほしい」とメッセージを送った。
今年、東日本大震災により被災地の情報通信連絡網が途絶えた。外部との接触が困難となった時、宇宙航空技術が役に立った。超高速インターネット衛星「きずな」や技術試験衛星Ⅷ型「きく8号」を利用し、ブロードバンド環境の構築やインターネット回線の提供が行われたのだ。
震災時以外にも人間の生活を豊かにしていく宇宙航空技術。現在、日本の技術はとても進歩しており、ロケットの信頼性も高い。星出氏は、「日本人の宇宙飛行士としては、将来種子島宇宙センターからMade in JAPANの宇宙船で宇宙に行きたいという夢がある」と語った。 (工藤玲奈)