早稲田と慶應。両校は、100年以上の長きにわたって、最高のライバルとして競い合い、友として称えあってきた。直接対決する早慶戦は、母校の固い絆だけでなく、お互いを不可欠な存在と再認識する場でもある。
両校の名を冠する本書が、メディアセンターが調査した、昨年度の塾生新書貸出ランキングで2位につけたことからも慶應の早稲田に対する高い関心が伺える。
内容の中心は、早慶が名声を獲得した理由や背景の検証だ。早慶関係者でない筆者が客観的な視点で綴っているため、両校をよく知る塾生、塾員には新たな発見が少なく物足りないと感じるかもしれない。しかし、筆者も指摘しているように創設者や建学精神をほとんど知らない塾生も多いのではないか。そういった学生には、創設から現在までをひも解いた本書を薦めたい。
本書は、両校創設当時の官学優先、私学軽視の風潮紹介から始まる。徴兵や初任給で優遇された帝国大学は人気を博し、両校は後塵を拝していた。
しかし、官僚育成を担った官立大に対して、早慶両校は実業界に優れた人材を輩出し、急追をかけた。また、両校創設者が抱いていた官への反骨精神も躍進を影で支えており、「早大生には建学の精神である独立心から生じる指導力、慶大生には実学重視の学風から生じるビジネスの積極的な姿勢などが、企業人としての成功に導いた」とある。ちなみに、大隈重信と福澤諭吉は同じ志を共有する盟友同士であり、現在の両校の緊密な関係を予期させる。ただ、「早慶」とセットでくくられるようになった理由について具体的な記述が無い点は残念だった。
共に成長してきた両校だが、確立された校風や建学精神は異なり、それぞれの強い個性が人気の大きな理由だという。早稲田に「自由」「在野精神」、慶應に「日本一の結束力」「上流」といったイメージを持つ筆者。 従来の一般的なイメージだが、こうしたイメージが固定された理由も複数の例から説明している。
両校の同窓意識の強さもその例の一つだ。ご存知のとおり、早稲田には稲門会、慶應には三田会という同窓組織がある。三田会は強固なネットワークを張り巡らせているが、稲門会は会員数に反して組織力は弱い。ここから、慶應では「共同体主義」に通じる「社中協力」の精神が今も重んじられているのに対し、対義語である「自由主義」が早稲田の校風であることを示している。結論ありきの証明のような印象も受けるが、内にいると忘れがちな外からのイメージを喚起させられる。卒業生からも両校を検証している本書は、母校の校風と社会的地位が、諸先輩によって脈々と築きあげられてきたことを教えてくれる。自分たちも両校の過去、現在を深く見つめ直し、背負う未来を考える必要がありそうだ。 (鈴木悠希子)