早慶戦はいつの時代も、神宮球場へ足を運ばせる魔力を持っている。毎年、塾生はもちろん、数多くの塾員も応援に出向く。中等部時代から早慶戦を見てきた名取秀雄氏(昭和51年度卒)もそのうちの一人だ。
名取氏にとって早慶戦は「学生に戻れる場」だという。「社会に出ると、慶應(出身)であることを出すことはあまりないが、早慶戦は唯一『慶應』と連呼してもいい」と話す。 中等部、塾高、大学と野球部に所属し、大学時代は体育会本部専任常任委員として早慶戦の運営にもかかわった。
慶大野球部に入部すると、野球部としてのプレッシャーを知った。六大学野球リーグ戦最後の2週間ほどは早慶戦に向けて、部内のムードが緊張していたという。下級生時代は「粗相してはいけない」という思いでいっぱいだったと話す。
慶大野球部の早慶戦に懸ける思いも大きい。当時は学生服で通常の対外試合に遠征していた野球部だが、早慶戦に限り、下田の寮から全員がユニフォーム姿でバスに乗り込み、神宮球場へ向かったという。
「リーグ戦優勝もうれしかったが、早慶戦で勝つことはことのほかうれしい」と名取氏は話す。 早慶戦が早慶による優勝決定戦になった一昨年秋。優勝決定戦で早大を下し、リーグ優勝を決めた。名取氏も三田の山での祝賀会に参加し、壇上の選手や監督、周りのOBを見て、目を細めた。「早慶戦はOBとしての自覚を持たせてくれ、つながりを感じられる。独特のムードがある」
名取氏が大学4年秋の早慶戦(昭和50年10月28日)は六大学野球史上に残る名試合になった。1勝1敗で迎えた第3戦は2―2で延長戦に突入。六大学野球最長記録となる18回まで両校譲らなかった。ついに18回裏、慶大のサヨナラヒットで幕を閉じた。試合時間は4時間10分にも及んだとのことだが、「観客席を見ても、満席のままだった」という。同リーグ戦の結果では、慶大は早大と同率での2位だったが、早慶戦での勝利に観客席は沸いた。伝統の一戦にはそれだけの重みがある。
「今年はプロ注目の山﨑主将をはじめ福谷、竹内もいるし、期待している」と、今年も変わらず、慶大野球部の早慶戦必勝を願った。(堀内将大)