夏も終わり銀杏の散り始める頃合いとなった。私が去年、生協でピンク色の表紙が印象的なこの本に出会ったのもこの頃だ。1年生の中には、おなじみの「銀杏伝説」を真に受けて「彼氏・彼女活動」をしている者もいるかもしれない。しかし、ちょっと待て。

愛とは何か。我々は、愛をある種の運命的なもの、貴方しかいないという唯一性をもたらすものと考えている。それゆえに、例えば金のための結婚は愛じゃないなどと言われるのだろう。

誰かを愛したとして、「なぜ、他ではなく彼女を愛するのか」を問えと著者はいう。ルックスがいいから?優しいから?料理がうまいから?仕事ができるから?

しかし著者によれば、どれだけ理由を挙げつらっても我々は、その誰かを唯一愛する理由を挙げることはできないだろうとある。相手の返答はこうなるはずだ。

「じゃあそんな人がいれば私ではなくていいの?」

本書は、著者の言語哲学、現代哲学に関する10の論考を収めている。そして著者があとがきにおいて「本書のモチーフ」と語っているのが序章・1章の愛についての論考であり、冒頭で述べた愛の疑問なのだ。著者、大澤真幸氏は元京都大学教授でもあり、一般向けの新書も多く手がける著名な社会学者である。彼の語り口は柔らかく、人を惹きつける魅力に溢れている。

大澤氏はこの論考の中で「恋愛」「貨幣」「宗教」など多様なトピックを使い、そのもの自体の価値を見出す不可能性を示唆している。

貨幣は、そのもの自体の価値より、世の中の人や店、つまり自分以外の他者が価値を同様に認めるからこそ、貨幣に価値が生まれる。

同じように恋愛においても「僕は君が君だから好きなんだ」、つまり相手を好きと純粋に証明することは不可能だと著者はいう。なぜならそれを考える際に、不可避に彼女じゃない誰かを愛することを想定し、彼女になったかもしれないたくさんの女性と今の彼女を相対化しなければならない。つまり、彼女を好きな理由を挙げる時、彼女への愛の唯一性は存在しないのである。「本当に彼女で無ければならないのか」。その不安を拭い去るべく、積極的に彼女を選んだ理由を我々は求めようとするだろう。しかし、この問いに逆戻りする事になる。 「なぜ、他ではなく彼女を愛するのか?」

恋愛の思考不可能性。著者が言いたいことはこのただ一つなのだろう。しかし、実際に我々は恋愛をする。まさにそのとき我々は、思考を外れてまさに恋に落ちるのではないか。むしろその思考不可能性が愛の妙味なのだろうか。

では、思考不可能なことを思考して、我々はこの論考で何を得たか。私にとってこれだけは言えるに違いない。恋に落ちることなく銀杏の散る前に彼氏・彼女を作ろうと躍起になっても、こう叫ぶだろうことを。

「これは愛じゃない」

(乙部一輝)