1月28日~30日にかけてフランス・パリで開催されたフェンシングフルーレワールドカップ。カテゴリーA大会の団体戦において、日本代表は優勝した。その団体メンバーの1人として全試合に出場していたのが、三宅諒さん(文3)だ。
彼は2008年北京五輪の銀メダリスト太田雄貴選手(森永製菓)の後を継ぐエースとして注目されているアスリートである。そんな三宅さんがフェンシングを始めるきっかけとなったのは、小学校1年生の時。「当時やっていた水泳が嫌になって、他に何かスポーツを続けたいと思った時、たまたま見つけたのがフェンシングだった」。思わぬ形でのフェンシングとの出会いであったが、才能を発揮させ、活躍の場を国内から海外へと移していく。
慶應義塾高校2年生の時、17歳以下の男子個人フルーレ世界選手権で優勝。日本人選手がフェンシングの世界選手権を制したのは当時、各世代のカテゴリーを通じても史上初の快挙だった。「初めて世界一のタイトルを取り、素直に心から嬉しいと思える瞬間だった」と振り返る。
来年のロンドン五輪強化選手として、数多くの試合を海外でこなしている三宅さん。彼は2年前にジュニアからシニアへと移行した。シニアの大会ではパワーやスピードだけではなく、戦略的に試合を運ぶことが求められる。
「ジュニアからの上がりたてで試合経験もなく、負けるのは仕方がない。そのような状況の中でいかに勝つチャンスを見つけていくか」が海外試合に臨むメンタルの保ち方だそうだ。
ヨーロッパの強豪諸国や近年急成長を見せている中国の選手たちは長身を武器に、高い経験値とスキルを駆使して試合に臨む。体格で劣る日本選手は、「足を使って相手を揺さぶり、その特徴を活かしたスキルを引き出さなければならない」と同時に「普段以上の力を持って相手に臨まなければならない」と警戒する。
三宅さんの将来像を聞くと、「フェンシングに対する気持ちを理解してくれるに企業に就職する」ことだという。
スポーツ選手をプロとして受け入れる企業が少なくなっている中、理想とする企業に就職するには「太田選手のようにしっかりと試合で結果を残さなければならない」と強調した。
最後に、そんな三宅さんが大切にしている言葉として、小泉信三氏の「練習ハ不可能ヲ可能ニス」を挙げてもらった。
「練習をただこなすだけではなく、自分なりに練習とは何かを考えて突き詰めていくことをいつも心掛けている」。
日々の積み重ねてきた鍛錬の成果を来年のロンドン五輪、そして2016年のリオデジャネイロ五輪で発揮することを願いたい。
(塚本雅章)