慶應義塾高校野球部監督の上田誠氏。独特の指導方法で塾高を春夏合わせて3度の甲子園に導くなど、高校野球界でも名を馳せている。東京六野球リーグに最も多くの選手を送り出している監督と言っても過言ではない。今回は慶大野球部のOBでもある上田氏に、慶早戦への思いを伺った。

多くの選手を六大学野球に送りだしてきた上田監督
多くの選手を六大学野球に送りだしてきた上田監督

 

 

――学生時代の慶早戦はどんな様子でしたか
当時はマスコミでもよく取り上げられていました。当時の六大学野球では、早稲田の岡田や法政の江川がいて、プロに行って活躍する選手がいっぱいいました。球場は常にお客さんで満員でしたね。

慶早戦になると、金曜日の時点で球場前に徹夜して並んでいるお客さんがいました。中には麻雀を持ってくるお客さんもいました。球場に入ると本当に震える感じがしました。僕はシートノックで球場に入れてもらったけど、本当に体が固まってしまいました。とにかく異様な雰囲気でしたね。あの頃の盛り上がりをもう一度取り戻してほしいですね。

 

――塾高の監督として教え子が試合に出ている時にはどんな気持ちですか
やはり何かがこみ上げる気持ちはありますね。去年の慶早戦だと渕上が先頭打者ホームランを打ったり山崎錬(商3)が大石君からホームランを打ったりしましたが、打席に立つ瞬間は本当に見ていられなかったです。その時は家のテレビで見れば良かったと思いました。

 

――慶大野球部のOBとして選手に期待することは何ですか

慶早両校に通じることですが、野球だけではなく、知的好奇心を持って、学生生活もしっかり送ってほしいですね。でも、野球をやっても誰にも負けてほしくはありません。日本の野球を支えてきたプライドを持って、歴史を忘れないで、神宮に立ってほしいです。

 

――最後に、慶早戦で最も感動した場面はどんな場面でしたか
1973年、僕が4年生の時でした。その年の慶應は周りから非常に期待されていたチームでしたが、春4位、秋5位という不甲斐ない成績に終わりました。

秋の慶早戦の第3戦は両校とも優勝の可能性がない状況で対戦しました。その日の天気はとても寒く、お客さんも全く入らなかったです。それでも両校はプライドをかけて戦いました。

試合は結局、早稲田に負けてしまいました。試合が終わった後に、みんなでこれでもかというぐらい大泣きしました。あれが一番の思い出です。当時の仲間と今でも付き合いはありますが、会う時はいつもその話ばかりしていますね。

――ありがとうございました。

 

(聞き手=劉広耀)