慶應義塾大学矢上地区文化財調査室は先月3日、理工学部テクノロジーセンター(仮称)建設予定地において、弥生時代後期から奈良時代までの竪穴式住居60軒以上を確認したと発表した。
今回発掘調査された区画には本来100軒近い住居址(住居跡)が密集していると考えられ、調査されたうち1軒は床面積が100平方㍍という、当時の平均的な大きさ20平方㍍を大きく超える巨大なものである。また、竪穴式住居址だけでなく、古墳・奈良時代の掘立柱建物址、近世以降の畠址などの不動産的な生活址、弥生土器、古墳時代から平安時代に使われていた日用土器である土師器や須恵器、土製勾玉、弥生時代の指輪状青銅器などの遺物も発見されている。
調査区を含む矢上台遺跡は全体で9万平方㍍といわれている。矢上キャンパス建設に伴い行われてきた過去の調査記録から見て、弥生時代後期の竪穴式住居は調査区同様、遺跡全体に高密度で広がっていた可能性が高い。全体では1000軒をはるかに超えることが見込まれており、これは弥生時代の集落遺跡としては非常に規模が大きく、密度の高さも特異である。南に隣接する日吉台遺跡群と合わせ、弥生時代後期・終末期の鶴見川流域地帯の中核といえる規模の集落群の一端が明らかになった。
また現存はしていないが、矢上台遺跡の東端には古墳時代前期の大型前方後円墳である観音松古墳が存在したことが戦前から知られている。このことから、当遺跡は弥生時代後期・終末期の中心的集落と、古墳時代前期の前方後円墳の関係を分析し得る稀有な遺跡といえる。
5日には一般向けの説明会も行われ、多くの人が調査区を見学した。