仕事や家庭を片手に、もう片手には通信教育の勉強を―受講生9411人のうち6割が社会人である通信教育(2010年5月1日現在)。二足の草鞋を履きながらの勉学は、人知れずの苦労や努力がうかがい知れる。一体、志高き通信生はどのような想いで学んでいるのか。
連載「通信生のこころ」最終回となる今回は、過去4回の総括とする。
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第1回(塾新第456号)で取り上げたのは、女優の川上麻衣子氏。
「時を経て本当に自分の学びたいことが見えてくることもあると思う」「学び」を決して学生時代だけのものと捉えるのではない。様々な人生経験を経てこそ見えてくるもの、気付くものを改めて見つめることで、自分の関心事を広げることの楽しさ、川上氏の言葉で言う「知る喜び」が感じられると話してくれた。
「自分の周りにある全てが学びです」と語るのは、第2回(塾新第458号)で取り上げたプロレスラーの西村修氏。
哲学という学問をプロレス、ひいては自分自身の人生へと当てはめ、発展させる。机上の空論で終わらせるのでなく、勉学で吸収したことを実生活に置き換える。勉学で吸収することはもちろん、自分の周りのあらゆる人、もの、ことが「学び」のヒントとなると語った。
大検合格から博士となった柳川範之氏を取り上げたのは、第3回(塾新第460号)。
小中高大と進学し学者となる「普通」のルートではなく、大検を受け、通信教育で勉学に励むことで学者を目指すルートを選んだ。親の仕事の関係で海外生活が続いた柳川氏には、学ぶ環境の柔軟性を持つ通信教育が自らの環境に一番合っていた。「レールはひとつでない」。大切なのは、学びに対する積極的な姿勢であり、学ぶ環境は、自らの手でいくらでも選択出来るものなのであろう。
第4回(塾新第461号)では、衆議院議員の加藤公一氏を取り上げた。
通信教育で学んだ基盤があるからこそ、現在の公務が成り立つ。学びを「続けるもの」とする加藤氏は、議員となった今もなお、専門外の分野でも貪欲に吸収する姿勢を貫く。学び続けることで、ある時「そうか」と腑に落ちたり、無意識の内に身に染み込んだ思考力や分析力が思わぬ形で活かされたりするという。
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いつ、どこで、何を、何のために学ぶのか。
「学び」の形は十人十色であり、決まった形はない。自分で自分の学びの枠を狭めてしまうのでなく、自分にとっての「学び」を見極め、邁進する。すると、各々にとっての「学び」の本質、価値に触れられる。
卒業率3%とも言われる通信教育。厳しい卒業環境にも関わらず、数多くの人が通信教育を受講するのは、自分にとっての「学び」の意味、価値を噛みしめているからなのであろう。
(曽塚円)