1975年にすずさわ書店より出版された本書が生活書院より増補されて復刊された。「脳性マヒとして生きる」「差別以前の何かがある」「ある障害者運動の目指すもの」「「さようならCP」上映討論集」という四部の内容、そして本多勝一氏(記者・作家)の序文(『貧困なる精神』所収「母親に殺される側の論理」)はそのままに、新版では補遺として、未収録の文章、オリジナルが出版されて三年余後に亡くなった著者への追悼文、原一男氏(映像作家)によって撮られたドキュメンタリー映画「さようならCP」のシナリオ、この国の障害者運動を転換させた「青い芝の会」にかかわる年表、そして立岩真也氏(生命学)による解説が含まれている。
横塚晃一さん、1978年没、脳性マヒ者であった彼は、この国の障害者運動において、庇護され保護される対象への資源投入の可否でしかなかった社会政策的な視点とはまったく異なる地点に位置し、障害を持つことの存在理由を前面に打ち出し、弱者救済を善かれとしていた社会そのものに猛省を促した。
僕のすずさわ版の本には書き込みが一杯だ。20歳の僕の書き込み、最初に下線が引かれた横塚さんのことば、「我々が社会の不当な差別と闘う場合,我々の内部にある赤ん坊性、つまり親のいうままに従うこと、言い換えれば親に代表される常識化した差別意識に対して無批判に従属してしまうことが問題なのである」。そこにつなげて、ニーチェ(奴隷根性)、土居(甘え)、フロム(自由からの逃走)といったフレーズ。ある種の硬質な「革命語」に自分を踊らせていた時代、障害者運動のマニフェストを自分の生のマニフェストにしようとしていた頃である。健常者であることの特権性を自身に問いかけ、自分を越えようと模索していた年頃である。
当時、ジャーナリズムという営みがもつ社会への批判性を存分に意識させ、取材という作業のもつ力をいろいろに感じさせてくれたのが本多氏の一連の文章だったし、事実を撮るというドキュメンタリーの言い分を否定し、自分という主観を突き詰め、主体と客体が反転するまでに、被写体という他者に関わらせることの圧倒さを目撃させてくれたのが原氏の作品だった。そしてもちろん横塚氏も、障害という事象を個人に還元することなく、また社会の不備だけに押しつけることなく、試行を繰り返していた。
若き血に注入すべき魂が全編に流れる書物。一度、手にとって欲しい。