学⽣でありながら通訳者としての活動と両⽴する形で、デビューから⼀年以内に、2025年春夏パリ・ファッション・ウィークにて9ブランドのランウェイに⽴つなど、異例の経歴を持つ江⼝祉穎さん(法政1年)に、モデルを⽬指したきっかけやモデルとしての独⾃性、今後の展望についてインタビューした。
ランウェイ挑戦は 可能性広げるため
――モデル活動を始めたきっかけは何でしたか。
⾼校では学業と⽣徒会やボランティア、委員会、課外活動に全⼒を注いでいました。そのため、当時モデルをやることは全く視野に ⼊っていませんでした。
受験が終わり、⼤学進学を機にもっと⾃分の可能性を広げたいと、これまでとは違う新たな挑戦をしたいという強い思いが芽⽣えました。また中⾼⽣時代がコロナ禍だったこともあり、アクティブに活動したいとも考えていました。
そこで⾝⻑が⾼いこともあり、⾃⼰表現の媒体の⼀つでもあるモデルとしてファッションの世界に⾜を踏み⼊れました。
――マネジメントはどのように進めましたか。
受験が終わったタイミングで、海外で売れているモデルがどういう体つきか、マネジメントしているのかを調べて分析しました。それを⾃分に当てはめて、ゴールから逆算して動いていました。体重は、( ⾼校卒業時から)2カ⽉で7キロ落としました。
――2024年9⽉の東京コレクション(東コレ)でデビューを果たしました。
4ブランド5ルックのランウェイを歩きました。ブランドごとにオーディションがあり、私はフィリピンやカナダのブランドから参加しました。
バックステージも外国⼈モデルが多く、最初はびっくりしました。
アジア⼈少ない中 積極的に声掛け
――東コレの直後に、パリに挑まれた理由は何でしたか。
パリに⾏ってモデル活動ができるかは分かりませんでしたが、⾏かなければ絶対にできないと思い、まずその場に⾏くことを決意しました。パリ⾏きのフライトや宿泊先も⾃分で予約し、オーディション情報やキャスティング情報も⾃ら調べました。その⽇出演できるかどうかも分からない不安定な状況が続きました。しかしブランドが求めるであろう最善のコン ディションに ⾃分を整え、⾃信を持って臨めました。
――ランウェイではどのような表現を⼼がけましたか。
歩かせていただいたブランドそれぞれに世界観や美しさがあります。私は服をいただいたタイミングで、直接デザイナーさんにコンセプトをうかがい、その思いをどう表現するか ⾃分なりに解釈して試 ⾏錯誤しました。
――新⼈のモデルとして参加した中、どんな印象を抱きましたか。
プレッシャーとともに、刺激的な体験ができました。パリではタイムスケジュールが流動的で物事の変更も多かったです。その中でも臨機応変にこなしていくモデルの姿を⾒て、私もプロフェッショナルとして⼀層努⼒しなければならないと感じました。⼀つでも多くのことを学び取りたい、と。
特にパリはアジア⼈が少なく、バックステージでアジア⼈が⾃分⼀⼈であることもありました。そのため⾃分から積極的に声を掛けないと、話しかけてもらえません。バックステージでは他のモデルやカメラマン、メイク担当者に積極的に話しかけたり、常に周りを観察したりして、 ⾃分の⽴ち振る舞いや段取りを改善させました。海外のモデルはショーが終わったらすぐ帰ってしまうことも多いですが、私は関係者の⽅々へ直接感謝の気持ちを伝えるようにしました。
――現地で受けたアドバイスで印象に残っているものはありますか。
私は、事前に計画を⽴てて⾏動するタイプです。ランウェイでも、こう歩いて、こう服を⾒せて、こう回るというシミュレーションをして向かっていました。
そのとき、あるモデルに「その場を、そこに⽣きている⾃分を楽しめていない」と指摘されました。服を魅せることやシミュレーションして計画を⽴てることも⼤事ですが、⾃分がそこに⽣きているという実感を持つこと、今を⽣きるという、この指摘は⼼に残っています。
――モデルとしての⽬標は何ですか。
トップに⽴ちたいとは思っています。ただそれは単純にすごく有名になることではありません。モデルは、単に素敵なものを表現するだけではなく、社会的なメッセージや⽂化を反映する強⼒なツールでもあると思っています。「プラスの価値観を届けたい」「笑顔にしたい」といった軸を持つことの⽅が⼤事です。
交流の場作り ⾏政との提携も視野に
――2024年10⽉には、株式会社CHIEIを起業されました。これは何を⽬的としているのでしょうか。
⾊々やりたいと思っていますが、⼀番は学⽣向けに交流の場を提供することです。同じことに興味がある⼈が集まって、新しいつながりができるようなイベントを開催したいです。
――起業のきっかけは何でしたか。
中⾼時代の⼤半がコロナで、⼈との関わりを制限される⽇々を送って、それが当たり前だと思っていました。コロナが明けたと思ったら、受験勉強という⾃分との戦い。外でアクティブに活動できることが幸せで、学びになることを体感しました。
⼀⽅で、コロナによって⼈と関わることを中⾼で無意識のうちに学んでいないことも感じました。⼤学に⼊って最初、孤独でした。⾼校は毎⽇同じクラスメイトや担任がいて、⾃分から動かなくても友達ができる場があります。でも⼤学は全部⾃分で動かないといけないんです。私たちの世代の⼈は、そういう積極性が養われていないのかなと思っています。だからこそ、学⽣同⼠の交流の場を作りたいと思いました。
――サークルの発⾜等ではなく、起業を選んだ理由は何ですか。
学⽣同⼠の交流の場に留まりたくないと思っているためです。例えば、どこかの市町村が少⼦⾼齢化で、どうすれば若者が興味を持ってくれるのかという疑問を抱えている。そこで、その⾏政と協⼒して地⽅創⽣について考える会を開くことで、社会の⼀員として貢献できるかもしれない。そのような素敵なところまで⾏きたいです。
――会社の名前はどのように付けられましたか。
本当に⾊んなのを考えたんです(笑)。CHIEIは、⾃分の名前と関係なしに、知恵って⼤事だなって思って決めました。今の世の中は閉塞的で、国際関係も、⼈としての単位も、場としての単位も⼩さくなっています。でも本当は無限⼤に広がるはずなんですよ。⼈とのつながりが希薄な中で、⼈類の知恵は⼤事なんだなと⾃分の中で思考してCHIEIにしました。
何でもできる⼤学⽣「何もしないを選ばないで」
――多様な活動と学業はどのように両⽴していますか。
私にとって、⼀番⼤事なことは当たり前の⽇常を豊かにすることです。今は学⽣として学ぶということ。 ⻑期休暇は就労ビザを取得してヨーロッパへ⾏きますが、⽇常は⽇本で学業と会社の経営をしたいと考えています。
――学⽣へメッセージをお願いします。
⼤学って、何でもできる場だと思うんですよ。でも同時に、何にもできないんです。無限に選択肢があるということは、例えば⼤学に⾏かない、何も活動しない、毎⽇家にいるという、何にもなれない選択ができます。だからその可能性を無駄にしちゃいけないなって思い ます。もしできなかった場合を考えちゃう⼈が多いと思いますが、挑戦しなければ100%できないと思うんです。できないかもしれないけど、できてしまうチャンスがあるじゃないですか。まずその前提となる⼟台をつかみ、⼀歩踏み出すところから始まると強く信じています。