【プロフィール】
作家・歌人 小佐野彈さん
2007年慶大経済学部卒業。経済学研究科に進学後、台湾でカフェチェーンを起業。現在は同企業の会長職に就く。ゲイであることを公表しており、小説や短歌に自身の特殊な生い立ちやセクシュアリティを落とし込んでいる。歌集『メタリック』(第63回現代歌人協会賞受賞)、小説『車軸』『ビギナーズ家族』など、著作多数。現在も台湾に暮らし、台湾三田会の副会長を務める。
今回取材した慶大経済学部卒業の作家・歌人 小佐野彈さんは、ゲイであることを公表している。
10月30日、「同性婚を認めない法律の規定は違憲」とする判決が東京高等裁判所で下された。セクシュアルマイノリティの人権は少しずつ注目されている。今後日本はどうあるべきか。小佐野さんは、在学時に学んだ経済思想から、「共感」の大切さを説いた。
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勉強嫌いの学生時代 ゼミで変わった意識
―慶大生時代のお話を聞かせてください。
僕は幼稚舎、中等部、SFC高、大学、大学院と、合計28年間を慶應で過ごしました。
学生時代はずっと勉強に苦手意識がありました。母が謙遜するタイプだったこともあり、幼いころから母や教員から勉強で褒められた経験はほとんどありませんでした。
それに朝が弱かったので、学校に遅刻せずに行くのに苦労しました。僕は30歳でADHDと診断されたのですが、学生時代には起きたら昼とか、電車に乗ったら、とんでもなく乗り過ごして見ず知らずの駅にいる、ということもしょっちゅうでした。
不登校ではなかったけれど、出席日数的に成績が良くなかったので、経済学部は第四志望で入学しました。
経済学部のクラスの友人たちとは、今は毎年クラス会を開催するくらい仲がいいのですが、当時は外部生(大学受験で慶大に入学した学生)の多さに気後れして足が遠のき、留年しました。大学二年生のころには、すでに台湾で起業していたので、中国語はできたのですが、それにもかかわらず中国語の単位を落として留年したんです(笑)。
兄も経済学部なのですが、僕の留年を馬鹿にしてきたんですよね。それまで僕は数学への苦手意識が強く、数学だらけの経済学なんて無理だと思っていたのですが、兄からの嘲笑で奮起し、「数式の書いていない経済学の本はあるかな?」と本屋で探しました。そこで経済思想史や経済史の本に出会いました。一度読んだ本を鮮明に覚えられる、情報と情報を結びつけるのが得意、という自身の発達特性が活きて、3日くらいで5,6冊の専門書を読破しました。
そんな中、同期の16人中15人が留年している、というようなゼミに入りました。すでに本で知見を得ていたので、当然成績はずば抜けていて、教授がとても感動してくれたんです。「文献収集が上手い」という才能も見出してもらい、ゼミで活躍しました。それまで勉強で褒められたことはありませんでしたが、ゼミの指導教授は「小佐野君はすごいね」とか「いてくれて助かるよ」とか「君の学術研究の才能には卓越したものがある」とか、沢山褒めてくれたんです。そこから「勉強って超楽しいじゃん」と思うようになりました。
人間は褒められると伸びるんですね。今、大学などで短歌や小説を教えていてもそう思います。
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「他人事は存在しない」と気づかせたい
―記者自身もセクシュアルマイノリティであることから、小佐野さんの作品に勇気をもらうことがありました。文芸活動とアイデンティティはどう関連していますか。
僕自身、セクシュアルマイノリティの権利について働きかけることもありますし、知り合いにも社会活動をしている人が多いです。芥川賞作家で台湾出身の李琴峰(り・ことみ)さんは友人ですが、彼女はセクシュアルマイノリティ当事者として政治的な怒りを表すことが多いです。
でも僕の作品は、エネルギッシュな怒りというよりは「諦め」や「枯れ」を表したり「大変だよね」と共感してみたりと、いわば「寄り添い」の文学です。歌人の俵万智さんとよくお話しするのですが、短歌にメッセージや訴えを入れてしまうと、スローガンになってしまうことがあります。僕は小説についてもそう考えていて、むろん広い意味では、直接的な社会への訴えを込めることも文学の仕事ではあるのですが、自分の小説には、社会への怒りを込めることは基本的にしないようにしています。
―ご自身の文芸活動におけるテーマは何ですか。
僕が一生かけて大事にしたいテーマは、「他人事は存在しない」ということです。人はすぐ「別世界」という言葉を使ってしまいます。「あの人は住む世界が違う」とか、「上級国民だから」「中卒だから」…みたいな。無意識に他者に対して、自分とは関係のない人、という線引きをしがちです。
僕が経済学で学んだのは、「一般均衡」という考え方です。いわば「風が吹けば桶屋が儲かる」、バタフライエフェクトです。眼の前の生活用品ひとつとっても、例えば、地球の裏側の鉱山で原材料がとられていて、そこで働く人の食べ物としてアフリカの穀物があり、その価格があって…というように、はるか遠く離れた土地の財や暮らしと繋がっていることが分かります。すべての財はすべての財と繋がっているんです。
他のことにも、この考えは応用できます。例えば今の日本で凶悪事件が起こると、すぐ死刑を求める声が上がります。しかし死刑とは、簡単に言えば有権者によって選ばれた内閣の、その総理大臣が、国務大臣を使って行うことです。つまりある意味、広く薄く、国民全員で殺人を分担していることなんですよね。でも、このような意識を持つ人は少ないでしょう。
僕が作品を通して言いたいのは、「どんないいことでも悪いことでも、他人事ではない」ということです。
僕はとてもお金持ちの家庭に生まれているので「あいつは恵まれているから悩みがない」とか、「別世界の人間だ」と距離を置かれることがよくある。でも僕には、幼稚舎時代にセクシュアリティや見た目でひどいあだ名をつけられたり、大企業の御曹司として、母親に「ゲイであることを会社の人に隠しなさい」と言われたり、辛いことがそれなりにあった。特殊な家庭、セクシュアリティに生まれたことの苦しみがたしかにあった。「別世界」と線引きされたとたん、個人の苦しみや、あるいは、みんな同じ人間であり、繋がっているということを忘れられてしまう。それは悲しいことです。
僕は小説の『僕は失くした恋しか歌えない』『ビギナーズ家族』でも、お金持ちの世界を描いています。自分の身近にあるちょっと特殊な社会を書くことが、やはり読者にとって面白いだろうと思うからです。
小説を書いていて一番嬉しかったのは「みんな苦しい、ということを思い出しました」という感想です。作家の西加奈子さんの「あなたの苦しみはあなただけのものです」という言葉も、とても好きですね。
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「共感」は二元論から抜け出す力
―他メディアのインタビューで、「共感」という言葉を重んじているとありましたが、それはどのような意味でしょうか。
僕は修士課程までアダム・スミスを研究していました。福澤諭吉の思想も学んできましたが、彼らの思い描いた「社会」あるいは「近代市民社会」とは、「他者に共感できる独立した個人」によって成り立ちます。「独立した近代的個人」とは、他者に「共感」し、異なる意見も尊重できる。そのうえで、自分の主張や考えを吟味し、行動の適切さを判断し、責任を持てる。
日本は明治以前「上様」がなんでも考え、決定してくれる封建制の世の中でした。でも、維新以降現在に至るまで、結局は「上様」が「世間様」になっただけなのではないか、と感じます。日本には「世間」はあるけれど、個人が主体の「社会」は未成熟だと思います。
作家デビューから1年もしない頃、杉田水脈議員の「LGBTは生産性がない」という発言に対し、メディアから頼まれてコラムを書きました。
僕は「杉田議員の主張はとんでもないけれど、一方で人格否定のような過激すぎるバッシングは危険だ」というようなことも書いたんです。「あいつは敵」という二元論、対立構造を作ると、双方から「共感」されなくなるリスクがある。
『まとまらない言葉を生きる』の著者、荒井裕樹さんという障害学の研究者のお話にもあるのですが、本来世の中は複雑でぐちゃぐちゃで、まとまらないはずです。それを無理やりまとめようとすることが、僕は怖いと思う。
だから、杉田議員に関しては、僕はまずしつこく対話を求め、対話を通じて学んでもらうことが必要だと書きました。自分たちセクシュアルマイノリティが明らかな不公正の中にいると、根気強く訴えていく。
日本の「世間」は「空気」や「常識」が基礎となっており、事なかれ主義な部分があります。そんな中であまりに過激なデモや個人へのバッシングを行うと、「あいつらちょっとやばいよね」と「別世界」の人間にされてしまう。
別世界の人間にされず、杉田議員のような人にも学んでもらうためには、自分たち側も働きかけることが必要なのではないでしょうか。
ただ、このような意見を書いた当時は、右派、左派、双方から強い反発があり、ヤフコメでひどい書き込みをされた(笑) 。メンタルを大きく崩して、6キロも痩せてしまいました。
僕の友人には、右派の政党の議員も、左派の政党の議員もいます。どちらにも根気強く、例えば同性婚について働きかけています。セクシュアルマイノリティの権利のために真面目に動こうとしてくれる人はどの政党にもいるんです。「○○の議員だから相手にしない」というようなレッテル張りはせず、全方位外交でやっていくべきだ、と思っています。
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人は誰しもマジョリティであり、マイノリティである
歌集や小説に対しての感想で嬉しいのは「ひとりの中に色んな面があると気が付いた」というものです。現在は「権力」を軸にしてマジョリティ、マイノリティを区分する、という考え方が一般的になりました。そして、一人の人間の中にマイノリティ性とマジョリティ性は混在しています。
僕は例えば、台湾に住む日本人です。つまり台湾では民族的にマイノリティ。台湾は日本よりはるかに女性進出、ジェンダー平等が進んでいて、女性のリーダーも多いし、日本の国会にあたる「立法院」の四割ほどを女性が占めます。しかし、それでもまだ男性優位と言える。その中で、僕はマジョリティのシスジェンダー男性です。一方、台湾がセクシュアリティにオープンな国であったとしても、僕はゲイというマイノリティです。
だから、僕が繰り返し述べたいのは二元論に陥るなということです。常にマジョリティの人、常にマイノリティの人、は存在しません。身近なことなら、観光公害の話が日本で盛んにされていますが、日本人も外国に行ったらたちまち観光公害の原因、というようなこともありますよね。
―日本社会の成熟にはどのようなことが必要だとお考えですか。
福澤研究センターのトップを務めていたこともある小室正紀先生が、「福澤は一万円札から下りたことを喜んでいるだろうね」と言っていました。ずっと慶應にいると、福澤崇拝、みたいな教育がなされます。でも福澤自身はそれを嫌うのではないかと思います。
先ほどもお話ししたように、上からの言葉に従うではなく、疑うことができる個人として独立していなくてはいけません。いろんな個人、いろんな意見があり、お互いに議論する。異なる意見も聞く。そのうえで自分の意見を形成して、妥協点を見出していく。それが成熟した社会の在り方です。分断と二項対立を煽った先にあるのが、今のアメリカなどではないかと思います。
―台湾のセクシュアルマイノリティをめぐる状況を教えてください。また、そこから日本が学べることは何でしょうか。
台湾は政治対立の構造が異なっていて、対立軸は対中政策がメインです。セクシュアルマイノリティの権利は当たり前になりつつあり、もはや対立の要因にはならない。
台湾は転職が盛んです。平均二、三年くらいで職が変わって行く。転職しても給料が下がることは少ない。つまり転職の機会費用が安いわけです。もちろん、それをバックアップするセーフティーネットありきですが、労働市場が非常に流動的です。一つの会社で差別に遭ったり、居づらいなと感じたりしたら、すぐやめて別の会社に移れる。マイノリティの存在や、会社の問題が可視化されやすい。
一方、日本の場合は変わりつつあるとはいえ終身雇用が基本なので、例えばセクシュアルマイノリティなら、カミングアウトには相当慎重にならなくてはなりません。
もちろん、理想は雇用が常に存在し、あらゆる企業が権利の保障に積極的であることですが、流動的な労働市場によって多様な生き方が広まり、結果的に企業と社会が変わった、という20年間の台湾を見てきました。儒教精神の強い台湾でもできたのだから、日本でもできると考えます。
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「頑張れなくても大丈夫」 セクシュアルマイノリティの学生にエール
―最後に慶應の学生、とくにセクシュアルマイノリティの学生にメッセージをお願いします。
今もまだ日本は「世間」だし、慶應の塾内も「空気」が支配する「世間」が残っています。でもその中でも慶應はまだ独立自尊の精神が強い人たちの集まりだと僕は思っています。学生たちのなかで、慶應を「世間」から「社会」へと脱皮させてくれる人が出てきたら嬉しいなと思っています。つまり、福澤が「慶應義塾の目的」で示した「全社会の先導者」になってくれたら嬉しいです。
セクシュアルマイノリティは人口の9%くらい、つまり左利きやAB型くらいの割合でいると言われています。だから一人ではない。実務的なことで言えば、困ったらまず協生環境推進室に相談してみてほしいです。辛くても頑張れなくても全然大丈夫。僕は比較的オープンな人間なので、相談したくなったら、SNSのDMなどで連絡くれても構いませんよ。
(飯田櫂)