iPS細胞の開発秘話語る
平成22年度小泉信三記念講座「iPS細胞研究の進展」が今月1日、三田キャンパスで行われ、山中伸弥教授=写真=が登壇した。
山中教授は京都大学iPS細胞研究所の所長。2006年に世界で初めてマウスのiPS細胞を開発したと発表し、翌年にはヒトでもiPS細胞の開発に成功したことを報告している。講演ではiPS細胞が開発された経緯や、将来的なiPS細胞の利用法について語った。
iPS細胞とはどのような細胞にも成長させることのできる多能性幹細胞で、皮膚細胞などの比較的採りやすい細胞から作りだすことができる。今までの万能細胞であるES細胞では拒絶反応や受精卵の滅失という倫理的な問題などが存在したが、iPS細胞はそれらの問題を克服するものとして注目されている。
山中教授はiPS細胞の理論について、本に例えて解説。「細胞の設計図は遺伝子の集まりで、だいたい3万ページくらい。なぜ同じ設計図から違う細胞ができるかというと、全部のページが読まれないから。(読むペー
ジの)組み合わせが違うので、同じ設計図でも全然違う内容になってしまって、全然違う内容ができる」と説明した。
iPS細胞研究で山中教授が着目したのが、この設計図のどこを読むかを決める「しおり」の役割をする転写因子。山中教授は「ES細胞で働いているしおりを探してきて、それを皮膚細胞に無理矢理入れたら設計図の違うページが読まれるようになって、性質が変わるのではないか、と考えた」と語った。山中教授はクローン羊のドリーの実験から、全ての細胞の設計図が細胞に残っていることを確信し、研究を進めていった。
また、iPS細胞を開発するまでの研究についても語った。山中教授は大阪市立大学大学院で研究した後、遺伝子改変マウスを研究するためアメリカのグラッドストーン研究所へと留学。帰国後、アメリカの時より続けていた研究から、ES細胞研究にたどり着いた。教授は「研究が順調だったように聞こえるかもしれないが、つらい時代だった。研究費はなく、ネズミの世話も自分でしなければならない。しかもネズミがどんどん増え、ネ
ズミ算を実感した。周りの研究者からももっと医学に役立つことをしろと言われ、辞める一歩手前まで行った」と当時の苦労を語った。