慶大メディア・コミュニケーション研究所(以下メディアコム)が主催する2024年度春学期公開講座が6月27日の5限に三田キャンパス北館ホールで開催された。
講師に迎えられたのは、昨年に直木賞を受賞した小説家で塾員の永井紗耶子氏だ。演題は「歴史、物語からジャーナリズムを考える」。会場は一般にも公開され、高校生や社会人など多くの人が参加した。
2000年に慶大文学部を卒業後、新聞社に就職し、ライターを経てから作家として活動してきた永井氏。塾生時代はメディアコムでジャーナリズムを学んでいたこともあり今回の依頼を快諾したという。
ジャーナリズムに向き合い始めた学生時代
中高生の時から歴史小説家を目指していた永井氏は、大学入学後「歴代の歴史小説家にならって」マスコミ業界への就職を視野にいれ、メディアコムに入所した。歴史小説を執筆する中で、客観的なエビデンスを歴史に残す新聞に興味を持ち、新聞の比較分析をする大石裕ゼミに入った。しかし、新聞は同じ内容でも新聞社によって見出しや論調・紙面の大きさが異なり、「各社の目線に合わせて作られたもの」であることを学び、改めて新聞の面白さに気づいたという。
テレビ局の報道番組のアルバイトも、永井氏のメディアに対する価値観に影響を与えてきた。番組冒頭にインパクトのある映像を流すテレビ番組と、書き出し10ページで魅力を判断されやすい小説は、「物語として魅せる」点で共通部分を持っている。しかし、関心を持ってもらうための「技」だけが残り、伝えたいことである「肝」がすっぽ抜けてしまうことは危惧しなければならなく、過剰な見出しを多用するネットニュースやショート動画が目立つ今日のジャーナリズムの問題点を永井氏は指摘する。
新聞記者生活で学んだこと
記者として2000年に産経新聞に入社し、兵庫県の西宮に赴任した永井氏。新人として初めて向き合った仕事が河川敷での変死体の事件であったが、事件性の低さや身元不明を理由に記事として取り上げるのに至らず、記事は当時の社会問題や倫理観に基づいて扱われることを肌で学んだ。小さな家事や少年事件一つ一つには短編小説として完成するほどのストーリーがありながら、記事として大きく扱われることがないことを、「記事になるかどうかは社会に委ねられる」と振り返った。
ライター活動と小説家デビュー
体調を崩し新聞社を半年で退職された永井氏だが、出版社に勤務する塾員に紹介してもらいライターとして活動を始めた。経済雑誌のライターとして様々な経営者から老舗企業の社長まで幅広く取材し、ライターとしての仕事にのめり込んだ。リーマンショックに伴う出版社の変革を受け、「小説家になりたいことを忘れていた」と気づき少しずつ小説を書き始めたという。新聞社時代に直面した「報道されない死体」を思いながら書いた『絡繰り心中』で新人賞を受賞し2010年に小説家としてデビューに至った。
小説家としての活動を通して
小説家としてのデビュー後、取材やインタビューを大切にしてきた永井氏。その姿勢を最も活かすことができた『商う狼 』では新田次郎文学賞を受賞。引き続きインタビュー方式を重視した『木挽き町の仇討ち』でも昨年直木賞と山本周五郎賞を受賞した。
こうした活躍を通して永井氏は、書き手の「主観が作品に反映されてしまう」ことを強調した。また、どんなに客観的な姿勢を意識し、思い込みを排除したとしても、無意識のうちに主観が現れてしまうことを自覚するべきだとも語った。最後に、SNSを通して誰もが自由に情報を発信できるからこそ、自分の主観に自覚的であるべきだと述べ、講演を締め括った。
大学附属研究所であるメディアコムでは、春は三田、秋は日吉で半期に1回ずつ公開講座を開催している。メディア業界に興味がある塾生は要チェックだ。
【写真=慶應義塾広報室提供】
(稲垣陽太郎)