世界では約100万種の動植物が絶滅の危機に瀕しているといわれており、その保全は喫緊の課題である。日本では、気候変動やエネルギー問題が注目される一方で、生物多様性の保全への対応は遅れている。そうした中、革新的な取り組みで注目を集めるのが、京都大学発のベンチャー企業・株式会社バイオームだ。同社は、いきものコレクションアプリ「Biome(バイオーム)」を通じて生物データを収集し、環境保全に役立てる取り組みを実践している。

第1回目となる今回は、同社の藤木庄五郎社長に起業の経緯や事業の狙い、アプリ「Biome」について伺い、その画期的な挑戦の核心に迫った。

 

※この記事は二部構成です。第2回はこちらをご覧ください。

 

「環境保全をビジネスに」― 起業の原点

 

――もともと、生物多様性の保全に関心を持たれたきっかけは、何だったのでしょうか?

私は、大阪市内の出身でしたが、近所に釣りのできる川や池があり、幼少期はよく釣りをしていました。当時はフナを釣ることが多かったのですが、ある時期からブルーギルなどの外来種ばかり釣れるようになり、自分の好きなフナが釣れず、外来種が増えていくことに恐怖を感じました。この体験をきっかけに、環境や生態系の保全に関連する書籍を読み漁るようになり、一部の業者や人々が無計画に外来魚を日本の川や湖に放流することが、生態系を崩すことにつながっていることを知りました。

 

――小学生の頃から、すでに生態系や環境保全の分野に関心をお持ちだったのですね。

私の関心は、大学院に至るまでずっと一貫しており、親から「環境のことを学ぶなら農学部が良い」というアドバイスを受け、農学部のある京都大学に進学しました。

京大では「生物多様性の定量化」をテーマに、生態系や生物多様性に関する分野を技術開発面からアプローチしていましたが、研究を進めるうちに、環境保全の課題を解決する上で、研究者としてやっていくべきか、疑問を感じるようになりました。

 

――起業のきっかけは、どのようなことだったのでしょうか。

きっかけは、東南アジアのボルネオ島での2年間にわたる研究生活です。現地の熱帯雨林は次々に伐採されており、地平線が見えるまで360度、木が1本も残っていない土地がたくさんある悲惨な状況を目の当たりにしました。ボルネオ島には、フタバガキという60mを超える高木があるのですが、現地の人は、危険を伴いながらそれを伐採しているのです。そこに、途方もないエネルギーが費やされており、根底には「木を伐採し環境を破壊すると、お金になる」という経済原理が働いているのを強く実感しました。

ボルネオ島での調査の様子(写真提供:株式会社バイオーム)
ボルネオ島では、ツル植物で水分補給したこともあったという(写真提供:株式会社バイオーム)

良し悪しはともかく、環境保全を考える上で「環境を破壊することで儲かる」というエネルギーを無視していては、何も成し遂げられないのではないか、研究よりも経済的なアプローチでなければ解決できないのではないか、と考えるようになりました。「環境を破壊すると儲かる」ではなく、「環境を守ることで儲かる」モデルケースを作らなければ、大きなインパクトや結果を残せないのではないか。それが営利企業として会社を立ち上げ、環境保全をビジネスとして実現しようと考えたきっかけです。

環境保全を行って同時に儲けられるのなら、周りも真似をする。先陣を切って「環境を守ることで儲かる」モデルケースを作ることで、競合他社が現れ、他の企業も参入するようになれば、大きな力になると、そう考えたのです。

本来あったはずの高木が見渡す限り伐採されてしまったボルネオ島の光景(写真提供:株式会社バイオーム)

――すごい胆力ですね。先陣を切って前例のない課題に取り組んでいくのは、とても大変なことだと思います。2017年に博士号を取得後、すぐに起業されていますが、はじめから起業を考えていたのでしょうか?

実は、在学中に就職活動をしたことがあります。CSRやボランティアではなく、環境保全をビジネスとして行っている企業があるのかどうかを見極めるため、話を聞きに行き、情報を集めていました。もし、そうした企業があるなら、就職しても良いと思っていたのですが、結局見つからず、ならば起業するしかないと考え、博士論文を書きながら起業の準備を進めました。

ボルネオ島にて現地スタッフと(写真提供:株式会社バイオーム)

 

「環境保全は儲からない」という常識への挑戦

 

――起業当初はどのような活動をされていたのですか?苦労や挫折はありましたか?

通常、スタートアップは、儲かりそうな事業を選ぶものですが、それでも成功するのは、10社に1社程度というシビアな世界です。当社の場合、環境保全は「儲からない」を「儲かる」へと変えていく事業なので、起業当初はとにかく大変で、人一倍苦労しました。

特に最初の2年は、売り上げがほとんど上がらず、資金調達にも苦労しました。出資してもらうために、多くの投資家に提案しましたが、100社行って100社断られるような時期もありました。「生物多様性の保全活動は儲からないでしょ。ボランティアでやることだよね」と、信念を否定するようなことを言われる場合も多く、一切理解を得られないまま帰ることもありました。

自分の収入もエンジニアを雇うお金もなかったので、最初の数年は、私ともう1人のメンバーが独学でアプリ開発をしながら、極貧生活を送っていました。

 

――起業当初は大変苦労された貴社が、今では社会的に大きな注目を集めています。事業の転機はいつ頃、訪れたのでしょうか?

2020年頃に、JR東日本・西日本・九州の3社と合同企画「バイオームランド」を開催したのが大きかったと思います。「スタートアッププログラム」に応募して勝ち取った事業で、新型コロナウイルスの流行と重なって大変でしたが、JRサイドで全面的にPRしていただいたので、ユーザーも増え、社会的認知を得るきっかけにもなったと思います。

 

環境保全にアプリ活用

 

――貴社の事業内容や収益構造をお教えください。

弊社のビジネスは、環境保全という付加価値をつけたサービスの提供が中心で、「環境保全につながる事業しか引き受けない」をモットーに事業を展開しています。具体的には、いきものコレクションアプリ「Biome(バイオーム)」をはじめとする複数のアプリや、それらを通じて収集したデータを活用し、環境保全に役立てるサービスを企業や地方自治体などに提供しています。アプリ内で企業や自治体と連携して大規模な生物調査を実施したり、アプリの利用者を介して集まったデータに対して必要に応じて分析や解釈などを行って、環境保全に役立てる情報商材としてご提供するのが基本的なビジネスモデルです。より具体的には、アプリを使った普及啓発のための生き物探しイベントの開催や企業向けのTNFD支援サービス*、自治体の生物多様性地域戦略に基づいた施策の支援、外来種防除のための基礎情報の提供など、サービスラインナップは30種類を超え、かなり幅広い事業を展開しています。

TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース):企業が自然環境へのリスクや影響、依存度を適切に評価し、情報開示するためのフレームワークやその提供組織。

 

アプリを用いた「生物多様性のデジタル化」― ジャングルの住人もスマホを使う

 

――アプリ開発の経緯や過程について、苦労したことなどはありますか?

先ほどもお話しましたが、大学時代の研究テーマが「生物多様性の定量化」で、生物多様性をデータとして数値化し、経済的な価値を持たせることが重要と考えています。生物は地域ごとに多様な形で活動しているため、定量化には独特の難しさがあります。ただ、やることはシンプルで、「この時間・この場所に存在した」情報が最小単位となります。つまり、生物の存在や位置を特定するには、現場レベルのデータが必要で、生物が観察された“日時”と“位置情報”のデータを集めることが「生物多様性のデジタル化」につながります。

当時、研究のためボルネオ島のジャングルの奥地でキャンプ生活を送っていましたが、現地の人は皆、スマホを持っていて、SNSが盛んでした。冷蔵庫もクーラーもないような場所なのに、SNSのために自家発電してスマホを充電する。それほどまでに、スマホは人間の根源に刺さっているツールで、GPSとインターネット環境が備わった電子デバイスとして、これを使わない手はないと思いつき、「世界中で普及しているスマートフォンを介して生物データを集める」仕組みの発想につながりました。

ただ、仕組みを作っても使う人がいなければ成り立たないので、個人をいかに巻き込んでいくか、がキモになります。そのための方法論として“ゲーミフィケーション”、つまりゲーム的な要素を取り込むという考えに至り、出来上がったのが、今のアプリ「Biome」です。

 


いきものコレクションアプリ「Biome(バイオーム)」

発見した動植物の写真を撮ることで、その種類を教えてくれたり、コレクションしたりできるアプリ。完全無料で利用でき、ユーザが発見した動植物のデータは、環境保全のために利用される。

日本に生息する約10万種の生き物を判定できる「名前判定AI」を搭載し、ユーザーが写真撮影をすると、自動で種名の候補が表示される。コレクション機能や図鑑機能、マップ機能なども備え、誰でも楽しみながら生き物と触れ合える。アプリ内で頻繁に開催される「いきものクエスト」は、場所や時期など特定の条件を満たす生き物を集めるゲーム性が特徴で、達成すると抽選で景品が貰えるものもある。

(写真提供:株式会社バイオーム)
ゲーム感覚で自然と触れ合うことができる「いきものクエスト」(写真提供:株式会社バイオーム)

 

――アプリの“こだわりポイント”があれば、お聞かせください。

環境保全に関連したアプリは世の中にいろいろあると思いますが、倫理観に根ざしすぎていると思っていて、そういうアプリにはしたくないと考えました。私自身、インドネシアの森林破壊の現場を見て、森林を伐採している人に「環境を守るべきだ」と理想論を語っても、何のインパクトもないことは肌で感じていました。ですから、「地球環境を守ったら儲かる」「環境を守った方が面白い」といった人間の欲求や本能に訴えるものを目指さないと広がらないし、残らないと考えたのです。

環境保全の領域では、「環境は守るべきだ」という理解をスタートラインにすることが多く、教育が大切と言われます。確かにそれも重要ですが、誰もが持っている根源的欲求に根ざしたサービスにすれば、楽しいという思いが、環境保全にダイレクトにつながっていく。そこが、アプリ「Biome」の開発の根本にあり、こだわっているところです。

見つけた動植物の写真を撮ることで、AIが種名を判別(写真提供:株式会社バイオーム)

 

「楽しい」と思える体験の向上を目指したい

 

――アプリ「Biome」は2024年の4月にリリース5周年を迎えたとのことですが、手応えはいかがですか?今後の展望についてもお聞かせください。

かなり浸透してきた感触はあります。おかげさまで、96万ダウンロードを突破し、多くのユーザーさんに支えられ、大変感謝しています。まだ進化の途上だと思いますし、やりたいことはたくさんあります。例えば、海外の動植物も対象にして、世界各地の生き物がアプリのタイムラインに流れるようにしたいですね。多くの人が、生き物を見つけて「楽しい」と思える多様な体験を提供できるよう、尽力していきたいと思います。

毎月恒例の「月刊クエスト」のほか、季節に応じたクエストも開催される(写真提供:株式会社バイオーム)
外来種防除などを目的としたクエストが実施されることも(写真提供:株式会社バイオーム)

――現状は画像から生き物の種類をAIが判定する仕組みですが、将来的に鳴き声などの音声情報からも生き物を判定することは可能でしょうか?

AIによる生物の音声認識については、研究開発中です。将来的に導入できるかどうかは、まだ何とも言えませんが、人間の声に比べて、生物の鳴き声を識別するのはかなり難しい。ただ、アプローチとしては可能性があるので、頑張っていきたいです。

 

〈第2回に続く〉

 


【プロフィール】

株式会社バイオーム 代表取締役/藤木庄五郎さん

1988年7月生まれ。2017年3月京都大学大学院博士号(農学)取得。在学中、衛星画像解析を用いた生物多様性の可視化技術を開発。ボルネオ島でのキャンプ生活を通じて環境保全の事業化を決意。博士号取得後、株式会社バイオームを設立。生物多様性の保全が人々の利益につながる社会を目指し、世界中の生物情報をビッグデータ化する事業に取り込む。

 

 

 


 

◯ 株式会社バイオームの公式サイトはこちら

◯ いきものコレクションアプリ「Biome(バイオーム)」の紹介ページはこちら

 

(聞き手・髙梨洸