5月10日、一橋大学で講演会「トランスジェンダーと大学」が開かれた。
一橋大学は現在、創立150周年の記念事業の一つとして「多様性に関する学生活動応援プロジェクト」通称「サスプロ」を実施している。本講演は「サスプロ」採択団体の一つ「トランスジェンダー・ノンバイナリー当事者も快適なキャンパスへ」のメンバーにより企画された。

群馬大学准教授の高井ゆと里さんが登壇し、大学におけるトランスジェンダー排除の実態が語られた。

トランスジェンダーの権利をめぐっては、昨年10月に性同一性障害特例法の生殖機能をなくす要件に違憲判決が出るなど、注目が集まっている。理解が広まる一方で、SNSを中心に差別的な言動が後を絶たない。トランスジェンダーの人口は全体の約0.5%であり、200人に一人という割合だ。大学に「いない」ということは、まずない。それにもかかわらず大学はトランスジェンダーにとって安全な環境ではない。

講演会では「そもそもトランスジェンダーとは何か」という基礎知識から、大学とのかかわりまで、詳しく解説された。

 

高井ゆと里さんは群馬大准教授。倫理学者。ノンバイナリー。
訳書にショーン・フェイ『トランスジェンダー問題』、周司あきら氏との共著に『トランスジェンダー入門』『トランスジェンダーQ &A 素朴な疑問が浮かんだら』などがある。

 

 

「心の性」「身体の性」では説明不十分

 

そもそもトランスジェンダーとはどんな人だろうか。「心の性と身体の性が一致しない人」と理解している人も多いだろう。しかし高井さんは、「この説明は当事者の現実に全くそぐわない」と指摘する。

当事者によって感覚はさまざまであるが、現在では「出生時登録された性別に標準的に期待されるものと別の性別の現実を生きている人」と説明されることもある。この「別の性別の現実を生きている」ということには、出生時に登録された性別とは異なるジェンダーアイデンティティを有している、ということも含まれる。

また、ノンバイナリーの人は「男・女」以外の性に当てはまる、どちらの性にも当てはまる、あるいは何の性にも当てはまらない、などの現実を生きている場合がある。

高井さんは「この講演会では分かりやすさのためにバイナリー的な説明をするが、ノンバイナリーの人に「男・女」という二元的な説明はそぐわないことに留意しなくてはならない」と説明した。

 

「性別らしさ」と「性別である」ことは違う

 

出生時、外性器の形状で登録された性別には、さまざまな期待がかかっている。

もちろん「その性別らしく生きなさい」という期待も重大な枷であるが、それを否定する生き方自体はトランスジェンダーに特有ではない。

例えば、「女性らしさ」を受け入れずに生きている人は、それだからといって女性でなくなる、男性になるわけではない。

このように「性別らしさ」を否定しても、「その性別であること」自体は受け入れている人がほとんどだ。戸籍に登録された性別を受け入れて生きる人のことを、トランスジェンダーに対してシスジェンダーという。

トランスジェンダーに固有の課題は、そもそも「その性別であること」への期待だ。

例えば、出生時に男性と登録された人は、男児⇒男性⇒おじさん⇒おじいさん、と成長していくことが当たり前に期待されている。

しかしトランスの人たちは、途中でそのような期待に応えられなくなったのである。

男児とみなされていた人が、トランスジェンダーをカミングアウトし、女性として生き、おばあさんになる。このようにトランスの人はシスジェンダーの人からすれば稀有な人生を送ることがある。

 

性別は多元的

 

トランスジェンダーの現実を考えるにあたり、「こんな人がトランスジェンダーだ」という一面的な見方はできない。当事者によって状況がさまざまだからだ。

トランスジェンダーの性別を考えるうえで、注目すべき要素は主に4つある。

1. 書類上の性

2. ジェンダーアイデンティティ

3. 生活上の性

4. 身体の性的特徴

この4つの観点から例を出してみよう。

例えば、あるトランス男性のケースだ。

彼は戸籍上女性である。しかし、成長につれて女性として周りから認識されることに違和感を覚え、トランスジェンダーであることをカミングアウトした。

戸籍の名前は男性に典型的なものに改めた。ホルモン投与により声は男性化しており、ひげも生えている。乳房は切除している。子宮卵巣を取り除く手術はしていない。

彼は書類上は女性、ジェンダーアイデンティティは男性、生活上の性は男性、身体の見た目の性的特徴(ひげや胸)は男性といえる。

一方、このようなトランス男性もいる。

彼は自身を男性として認識しているが、周りの偏見を恐れ、カミングアウトしていない。生活上見なされる性は女性であり、戸籍も女性。ジェンダーアイデンティティのみが男性である。

また、すでに戸籍の性別移行を済ませ、1~4すべてが「男性」として生活できているトランス男性もいる。この場合は、シスジェンダーの男性とほとんど変わらない状況にあるといえる。

このように、トランスジェンダーそれぞれに多様な状況があり、一般化はできない。先述の「身体の性、心の性」という説明では、当事者の生活実態が隠れてしまうのだ。

トランスジェンダーについて基礎知識をつけたところで、講演は本題に入る。

 

大学はトランスジェンダーにとって安全でない

 

高井さんによると「トランスジェンダーと大学」を考える際、ポイントとなるのは

1.学生 

2.教職員 

3.授業 

以上の3つ。

1、2はそれぞれトランスジェンダー当事者の生活にかかわる問題、3はトピックとして「トランスジェンダー」が取り上げられる際の問題だ。

 

ポイント1 トランスジェンダー学生と大学

 

大学に通うトランスジェンダーの学生は、大きく3つに分けられる。

① 入学前に生活上の性別移行を済ませているが、戸籍の性は出生時のままの学生

② 生活上、他者からみなされる性と自身のジェンダーアイデンティティが異なる学生

③ 在学中に性別移行を経験する学生

学生の置かれている状況によって、必要な課題は変わる。

 

①の場合は、大学によるアウティングを避けることが第一だ。

アウティングとは、本人の了解を得ることなく第三者に性的指向や性自認、性別移行にまつわる来歴や、過去の氏名などを暴露することを指す。

●名簿の性別の張り出し

●教員間の不要な情報共有

●性別に関する個人情報について窓口で大声の対応をすること

などがアウティングに繋がる。

例としては、「一人の教員にカミングアウトし、合理的配慮を求めたつもりが、伝えていないはずの教員にまで知られている」といった場合や「窓口で『性同一性障害で名前を変えるのですね』などと大きな声で対応されてしまったために、周囲に知られてしまう」ということが挙られる。

また、①に該当する学生に男女兼用のトイレや更衣室を勧めることは、過剰な「配慮」となる。

例えば、ホルモン治療により声が低音化しており、名前が男性的であり、周りに男性とみなされて生活しているトランス男性を、大学だけが戸籍の性別を知っているからと言って、男女兼用スペースに案内することは、かえって彼の生活を妨げてしまう。

「近年は理解の広まりにより、小学校、中学校、高校で合理的配慮や治療を受けてきたトランスの子が増えている。大学に戸籍と生活実態上の性が異なる人が入学することは、必ず想定され、守られなくてはならない」という。

そのためには、以上にあげたアウティングの防止のほか、「通称名の使用」や「戸籍の登録とは異なる性別登録のシステム」が不可欠になる。通称名使用については後程解説する。

 

②の場合は、安全な学習環境を守ることが求められる。

●授業中に過剰に男女の呼び分けをしない(「さん」「くん」で呼ぶなど)

●見た目で性別を決めつけない(「そこの男性の方発言してください」など)

●過度に性別を意識した授業をしない(「男女でペアを組んでください」など)

●健康診断や更衣室で個室の選択肢を設ける

●性別不問のトイレを設置する

などの対応が必要だ。

 

③の場合は、②の学生と同様の対応はもちろん、外見によるハラスメントの禁止も不可欠だ。

性別移行中のトランスジェンダーは、名前の変更やホルモン治療による見た目や声の変化など、シスジェンダー側から見て稀有な状況にあることが多い。

なかには「性別移行中で行けるトイレがないから休学した」というケースもある。「施設の問題で大学を休まざるを得ないのはあまりにも学習機会を奪われている」と高井さんは指摘する。

 

「通称名使用」の高いハードル

 

大学に通うトランスジェンダーの壁となるのは「通称名の使用」だ。
トランスジェンダーの中には、出生時の名前を変えなければアイデンティティに沿った性での生活を送れない人がいる。大学で戸籍名でない名前を使う場合は、通称名の使用許可を得る必要がある。

高井さんは「大学が通称名の使用に関して学生に

●性同一性障害(ないし性別不合)の診断書

●学内保健医の診断書

●親の同意

以上の3点を求めることは不合理です」という。

「性同一性障害(ないし性別不合)の診断書があれば、戸籍の名前を変更できる可能性が高いので、通称名を使いたい学生のニーズに合っていません。また、トランスジェンダーとして生きることは医療を必要とすることもありますが、病ではない。学内医に相談する必要はないはずです。学内医が無理解なケースも多く、相談によってハラスメントを受けることがあります。また、親の理解が得られないため、親元を離れてようやく性別移行に踏み切れる人もいます。以上の理由から、これらの要件は絶対にやめてほしい」

大学から通称名の使用許可が下りにくいと、トランスジェンダーは見た目やアイデンティティと異なる性別を連想させる名前を使い続けなくてはならない。生活上非常に不便であるのに加え、精神的な負担を強いられてしまう。

 

ポイント2 トランスジェンダーの教職員と大学

 

トランスジェンダーの教職員に関しても、学生と同じ3つの状況がある。同様の合理的配慮が必要だ。
教職員特有の問題として、生徒からリアクションペーパー等でハラスメントを受ける場合がある。差別に耐えかね、退職せざるを得なくなる事態もあるという。また、大学側が教職員のカミングアウトを強制する事例もある。

高井さんは「こうした問題は『性自認の尊重』でなく、『安全な労働環境を守る』という視点で考えられなくてはならない」と話す。大学は労働者を危険な状況に晒さない義務があるのだ。

 

ポイント3 「トランスジェンダー」というトピックと授業

 

もう一つ重要なのは、トランスジェンダー・ノンバイナリー学生にとって危険な授業が行われないことだ。授業内で「トランスジェンダー」という集団に対し、差別を扇動する場面がみられることがある。

例えば、教授が「最近は心が女だと言えば女湯に入れる時代だ」などと発言したり、「トランス女性が女性競技に参加すべきか否か」などの差別発言が出ることが容易に想像されるトピックで議論をさせたりすることなどが挙げられる。

こうした事例に対し、高井さんは「自分の属する集団への差別がまかり通る場所では、安心して学習できない。差別が放置されるのは『特定の学生を学びの場から排除しない』という義務を大学が怠っているということです。『傷つくマイノリティの学生』ではなく『学びの安全を損ない、排除を生んでいる大学』にこそ焦点を当てるべきです」と指摘した。

 

また、ジェンダー論の授業でトランスジェンダー排除的な言説が教えられたり、トランスジェンダーについて適切な説明がなされなかったりする事態も生じている。
例えば先述の「心と体の性が違う人」や、「ジェンダー規範に違和感を覚える人」という説明では、当事者の現実を誤って捉えてしまう可能性が高い。

「トランスジェンダーとは、『性別らしさ』を嫌がった人が自分の性別を勘違いしているだけだ」と誤解し、トランスジェンダーの人格ごと否定する人も出てくることもある。

 

学問の世界では、トランスジェンダー当事者の研究が参照されにくく、シスジェンダー支配的な語りがされてきた。

本来、トランスジェンダーを論じるならば、当事者の現実に立ってものを見なくてはならないはずだ。

当事者目線で考えられていない言説の例として、「トランス女性の服装やメイクが女性らしさやジェンダー規範を再生産している」というものがある。

しかし、トランスの人たちは自認するジェンダーらしくないとされる行動を取ると、「やはり女(男)だったのだ」と人格ごと否定されてしまう危険性がある。そのため、ある程度ジェンダー規範に従った行動をとらざるを得ない現実があるのだ。

また、そもそもマイノリティがマジョリティの規範生成に関係している、というのは非合理な考えである。ジェンダー規範の再生産には0.5%のトランスジェンダーではなく、99.5%のシスジェンダーの方がはるかに影響している。

このように、当事者の視点を欠いた態度は差別や偏見を助長する。

 

高井さんは、「当事者の語りが周縁化されてきたのは、フェミニズムなども同じ。マイノリティの訴える現実を耳に入れず、非当事者の言葉の方が信用されてしまう事態は変えなくてはならない」とし、「とくに、ジェンダー論系の授業でトランスジェンダー排除的な言説がされるのは何としてでも止めなくてはならない。現に偏見を恐れてトランスの人たちが当該の授業にアクセスできない状況も発生している」と語った。

 

「言いたいことが言えなくても恥じないで」当事者への思い

 

講演会の最後は、質疑応答と高井さんからのメッセージで締めくくられた。

 

「大学は先例中心主義です。指摘すれば確実に変わっていきます。しかし、マイノリティが人権侵害を指摘することは、かえってその人の生活を危険にしてしまうこともある。自分の属する集団について、間違った言説に出会っても、相手との関係性を壊したり、安全な環境が奪われたりするリスクを考えて、笑ってやり過ごさなくてはならない状況がある。そのときは誤りを指摘できない自分を責めたり、恥じたりしないでください。忘れてはいけないのは、それは当事者が負う責任ではないということです」

 

「トランスジェンダーを排除しているシステムやコミュニケーションが放置されていることが問題です。差別は存在しており、無くす義務は大学側にあります。当事者が納得できない、苦しいことを我慢し、頑張っているのを私は知っています」

 

高井さんが声を詰まらせながらこう話すと、会場全体は深い連帯感に包まれた。

 

講演後、高井さんと講演会主催者が、弊紙のインタビューに応じた。

 

「大学はトランス排除しない義務がある」

 

高井さんは講演会を引き受けた理由として、トランスジェンダー学生、教職員の増加を挙げた。

 

「近年は理解の広まりにより、大学卒業後ようやく性別移行するのではなく、早い段階から望んだ性での生活を可能にする人が増えている。小中高では合理的配慮が進んでいるのに、大学はトランス学生がいる前提のキャンパス作りを怠っている。これは時代に向き合えていないということです。大学はトランスジェンダーを排除しない義務があります」

 

「また、近年トランスジェンダーの教職員はようやく増えてきたところです。しかし、学生からのハラスメント等で安全な労働が守られず、辞めてしまう人もいる。また、まだまだ研究者としてのキャリアに辿りつく前にアカデミアを離れてしまう人も多い。自分もノンバイナリーであることから、仲間を減らしたくない、との思いがあります。」

慶大内のトランスジェンダー・ノンバイナリー学生へのメッセージとして、「学びを諦めないでほしい。何か困りごとがあれば、私が交渉してもいいですよ」と力を込めて話した。

 

「当事者が安心できるキャンパスに」

 

サスプロ「トランスジェンダー、ノンバイナリー学生も快適なキャンパス作り」の主催者は、講演会について次のように語った。

「外部の講師の方をお呼びして、トランスジェンダーやノンバイナリーに関する講演会を開いています。例えば以前は女性の体に合うメンズライクなスーツを作っている会社の方に講演をお願いしました。全6回を予定している講演のうち、今回は3回目でした。次の講演会もぜひ来てほしい」

当該の団体は、トランスジェンダー・ノンバイナリー当事者の学生生活上の困難を調査し、一橋大に対してキャンパス改善のための報告書を作成する予定だという。

「一橋大を当事者が安心して過ごせる大学にしていきたい。ぜひ入学や就労の対象になってほしい」と語った。

 

サスプロのリンクはこちら。慶大生もぜひ確認してみてほしい。

 

一橋大学【学生支援施策 (SAS-Pro)】|創立150周年記念プロジェクト (hit-u.ac.jp)

トランスジェンダー・ノンバイナリー当事者も快適なキャンパスへ|創立150周年記念プロジェクト (hit-u.ac.jp)

 

 

次号 慶大内の実態調査

 

記者自身、大学在学中に改名、ホルモン治療等の性別移行を経験したトランス男性である。
今回の講演会で語られたような問題点は、慶大にも当てはまる。トランスジェンダー・ノンバイナリーの生活が十分守られているとは感じられない。

 

弊紙は後日、慶大の協生環境推進室に通称名の使用要件、健康診断や更衣室の合理的配慮、ユニバーサルトイレの増設予定、LGBTQ+の学生に対するガイドラインの作成予定等をインタビューし、7月号に掲載する予定だ。

 

飯田櫂