早慶戦が近づいてきた。早慶戦は毎回、大きな注目を集め多くの塾生も神宮球場に足を運ぶ。
しかし知名度に比べ、早慶戦自体の起源や歴史はあまり知られていないのではないだろうか。早慶戦の成り立ちを知ることで、理解度を深めてより一層充実した試合観戦ができるだろう。そこで今回は、早慶戦がどのように生まれて発展していったのか見ていこう。
始まりは一通の手紙
1903年、今から100年以上前に早稲田から慶應あてに一通の手紙が届いた。それは挑戦状だった。11月21日に快晴の中三田の慶應義塾運動場で第一回早慶戦が行われた。できて間もない早稲田野球部が慶應野球部に善戦したことで伝統は幕を開けた。その後絶縁などを経て1925年に再び早慶戦が開始されてそれが現代まで脈々と受け継がれている。そして、現在ではサッカー部、バスケ部、剣道部、ラクビー部など実に37部の間で早慶戦が繰り広げられている。
早慶戦大規模観戦の舞台裏
早慶戦での大規模な応援合戦は時折話題となる。では、その流れはどのようにして作られたのだろうか。主な原因は三つある。一つ目は、学校と連携して生徒に対して早慶戦の存在を告知・観戦を促進していることが挙げらる。慶應SFCの例で言うと、必修の体育の授業で初回授業で早慶戦の存在が知らされる。その上で、早慶戦出席が体育の授業の一出席分とみなされることがある。これにより生徒は早慶戦の存在を知り応援に行く動機が与えられる。二つ目は、各種サークルの思惑と早慶戦を主催する野球部・応援指導部・チアリーディング部の思惑が一致する点だ。主催側は神宮球場を人で埋め尽くし、熱い応援と勝利で多くの塾生に感動を与えることを目指している。一方でサークル側にとっても構成員同士の親睦を深める機会として早慶戦観戦は最適だ。多くの塾生に共有されている大規模イベントで、一緒に応援することによる一体感はメンバー同士の親密度を高めることにつながるだろう。所属サークルで格安の500円でチケット販売されることがある。そして、三つ目は慶應のOB・OGの方々の母校愛が強い点だ。
コロナを乗り越えて
高い知名度、人気を誇る早慶戦だが、やはりコロナには苦戦した過去があった。コロナ禍の中で無観客開催が続いた影響で早慶戦の存在を認知はしているものの球場から足が遠のいてしまった。早慶戦に塾生一同で足を運んで皆一丸となってチームを応援するという風土が失われつつあった。そんな中で立ち上がったのが「神宮塾生動員プロジェクト」だった。このプロジェクトは野球部と応援指導部の内部生によるプロジェクトであり大学入学者が応援に来やすい仕組みづくりを目指したものだそうだ。
以上、早慶戦の歴史を見てきた。早慶戦観戦の理念や取り組みを知ることで、より一層観戦に行きたくなるのではないか。ぜひ応援に神宮球場に足を運んでほしい。
(前田颯人)