日本にルーツを持ちながらも、イギリスで作家活動を行っているカズオ・イシグロ。1989年に『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、一躍世界に名を轟かせた彼は、今や現代を代表する作家の一人だ。2022年には、映画『生きる LIVING』の脚本執筆を務め、話題となった。

今回は、長編作品の多いカズオ・イシグロ作品のなかでも、異色の短編集『夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』をご紹介する。副題にあるように、“音楽“をテーマとした本作は、それぞれの短編を5つの楽章に見立て、1冊の短編集として編纂したのだという。5つの短編を通して、カズオ・イシグロの作風──哀愁と郷愁、ユーモア──を、一度に味わうことができる。なんと贅沢な!

今回、取り上げる短編は次のとおり。「老歌手」「夜想曲」「チェリスト」の3つだ。

 

ちなみに、カズオ・イシグロは、学生時代にはミュージシャン、特にロックスターを目指していたという。彼の作品に、数多くの“音楽”が登場する背景には、こうした経験が影響しているのだろう。

 

「老歌手」──過去と栄光の狭間に

 

原題は「Crooner」。Croonerとは、1920年代以降にアメリカで流行った歌手の総称で、ビング・クロスビーやフランク・シナトラがそれにあたる。想像がつかない方は、実際にYouTubeで検索してみるのが手っ取り早い。

 

物語の舞台は、ヴェネチアのサンマルコ広場。共産主義国出身のギタリスト、ヤンの視点で物語は進む。サンマルコ広場で、“ジプシー”としてフリーの演奏活動を行っている彼は、ある春の朝、アメリカの大物歌手であるトニー・ガードナーと邂逅する。

母親の憧れだったことを回想しながら、演奏後、ガードナーに声をかけるヤン。ガードナーは、妻のリンディとともに、27年ぶりにヴェネチアを訪れたのだという。ガードナー夫妻と一通り会話をするが、夫婦間には何だか微妙な空気が漂っている。帰り際、ガードナーはヤンにある“頼み事”をする。

それは、ゴンドラから滞在している高級ホテルの一室に向けて、リンディにセレナーデを贈るというものだった。ヤンは快諾し、ガードナーの歌に合わせて、ギターで伴奏する。しかし、このセレナーデこそ、ガードナーからリンディへの、離婚前の最後の贈り物だったのだ。

 

夫婦間のもつれは、なんとも難しい問題である。過去の栄光も年月が経てば、風化する。男女の関係もまた同様だ。そしてガードナーは次のように述べる。

 

“出ていけない”ことは実に不幸なことだ。

「わしはリンディに出ていってほしい」と。

 

“出ていく”というフレーズ。過去と決別し、未来に向けて新たな道を進むことを意味しているのだろう。そして、ガードナーは“出ていく”決意をした。模範的な人間にとって、ガードナーの行動は独善的かもしれない。しかし、夫婦はどこまでいっても、結局は赤の他人。その間には溝があり、その溝が深まった時、“出ていく”決心が求められる。

 

全体的に切なく哀愁漂う本作だが、ユーモア溢れるシーンもある。特に、妻リンディのデリカシーのなさは、読者の笑いを誘うし、共産主義国出身のヤンと民主主義国に生きるガードナーとの価値観のズレには、ハッとさせられる。ちなみに、リンディのノンデリっぷりは、4作品目の「夜想曲」でも遺憾なく発揮されるので、ファン必見(?)である。

 

5作品のなかでも、最も切なく哀愁漂う短編であり、露骨に夫婦間の危機が描かれる本作品。長編並みの読み応えがあり、“カズオ・イシグロらしさ”がよく現れた作品だと感じた。

 

「夜想曲」──有名人のお隣さんと繰り広げる“スラップスティック・コメディ”

 

夜想曲。nocturne。ノクターン。本書の題名を冠したこの短編では、先に登場したリンディと売れないサックス吹きの二人組が、ローレル&ハーディさながらの“ドタバタ喜劇”を繰り広げる。

 

語り手は、それなりにサックスが上手い(自称)ものの、醜い顔のせいで有名になれないサックス吹きのスティーブ。物語の序盤で、彼は、マネージャーには整形を勧められ、愛妻には逃げられる。終いには、逃げた愛妻の男に「費用を負担するから整形しろ」と言われる始末。なんとも情けない男である。

なんやかんやで、整形手術を受け、術後に入院することになったスティーブ。顔が良くなりホッとしたのも束の間。隣の部屋には、何かと人騒がせで、トニー=ガードナーと離婚したと話題のセレブ、リンディが入院していることを知る。最初は、“吐き気がするほど”リンディを嫌っていた彼だが、サックスを聞きたいと執拗に迫るリンディの前に、あえなく敗北。自分のCDを聴いてもらうことに。

 

CDを聴いたリンディの反応は、あまり良ろしくない。彼女の態度に憤慨するスティーブ。しかし、その晩、リンディは深い感動ゆえの態度だったことを明かし、スティーブに謝罪する。そして、彼に贈ったのは“年間最優秀ジャズミュージシャン賞”のトロフィー。ところが、この贈り物、実は彼らが入院しているホテルで翌日に開催される「サイモン&ウェズベリー音楽賞」の授賞式で使われる本物のトロフィーだったのだ。つまり、リンディはこっそり盗んできたのである。

さすがに動揺を隠せないスティーブ。トロフィーを元の場所に戻そうと、二人は夜のホテルを奔走することになる。そう、リンディとスティーブのコンビによる“スラップスティック・コメディ”の開幕である。何やってくれているんですか、リンディさん…。どうやら、離婚しても人は成長しないみたいです…。はい。

 

リンディが再び登場する本作。しかし、「老歌手」とは全く毛色の異なる、ユーモア溢れる“ドタバタ劇”が繰り広げられる。そして何よりも、最後に“出ていく”ということについて語るリンディの姿が、非常に印象的であった。

 

「チェリスト」──2つの“才能”をめぐる物語

 

これは、“今”から7年前の物語。
若きエリート・チェリスト、ティボール。ロンドンの王立音楽院に通い、オレグ・ペトロビッチの指導のもと、一流の音楽教育を受けていた。だが、当時は、各地を転々としてリサイタル行うだけの、現金に乏しい生活を送っていた。

 

そんなある日、彼はエロイーズ・マコーマックという名の“チェロの大家“に出会う。ティボールは、ホテルの一室で彼女の指導を受けることになる。

ティボールがチェロを演奏し、彼女が批評する。その繰り返し。彼女がチェロを弾くことは決してない。彼女の部屋には、楽器すらない。しかし、彼女の指導の腕前は本物で、ティボールのチェロの腕前は確実に向上していた。そして何よりも、人の感情を読み取り、心を掴む特技が、彼女にはあった。

 

指導の腕前が本物でも、一向にチェロを演奏しない彼女に不信感を募らせるティボール。疑念は次第に膨れ上がり、彼らの関係に影を落とし始めた。自身とティボールの状況を見かねたエロイーズは、ついに真実を告白する決心をし、口を開く。

彼女は幼い頃にチェロを始め、才能ある“特別なチェリスト”だったが、良き指導者に巡り合えなかったために、11歳の時にやめたのだという。彼女は、自分の“才能”を守り、“待つこと”を選んだのだ。そして、彼女はティボールと自分には、特別な“才能”があると断言する。続けて、エロイーズはこう言う。「(才能を)絶対に傷つけてはいけません」と。

彼女は、真実を告げると、しばらくの間ホテルに滞在したのち、彼女を探し訪ねてきた婚約者とともに旅立つ。ティボールもまた、彼女の幸せを願いながら、自身の道を歩んでいく。そうして、この物語は幕を閉じる。

 

5つの短編のなかでも、最も不思議で謎めく本作。果たして“才能”をひたすら守り続け、待つことを選んだ彼女の選択は正しかったのだろうか?もしかすると、卓越した“才能”とは、ある種の“呪い”なのかもしれない。2つの“才能”をめぐる本作は、奇妙でありながら、示唆に富んだ深いテーマを提示しているように思えてならない。

 

髙梨洸