4月13日、神宮球場で東京六大学野球春季リーグ戦が幕を開けた。リーグ出場選手たちにとって特別な場所である神宮で壮絶な経験をした選手がいる。慶大を卒業し、現在は社会人野球の日立製作所でプレーする生井惇己投手だ。2022年に神宮のマウンドで左肘の靱帯断裂を経験したが、ついに今季から復活を果たす。今回、生井投手に過酷な経験から復活に至るまでの経緯と心境を聞いた。
一日でも早く復帰できるように続けたリハビリ
──左肘を靭帯断裂した当時の状況についてお聞かせください。
怪我をした前日が対法政2回戦目で、雨の降る中で2イニング投げたと思います。その時点でも、左肘に不安がある状態でした。自分のリーグ戦への登板が遅れていたこともあり、とにかく自分がチームに貢献しなければならないという気持ちもありましたし、自分のはやる気持ちもあって、パフォーマンスがベストでないながらもマウンドに上がりました。その結果、日を跨ぎ連投という形になり、肘の方も限界に達していました。
僕自身も監督にしっかり言えなかった部分もありましたし、チームに迷惑はかけられないなって。どんな形でもいいからチームに貢献したいという気持ちで投げ続けた結果があの時の怪我に繋がってしまいました。
状態としては、マウンドに上がって4球を投げてそのまま降板したという感じです。その後は、自分自身ももう前のようなパフォーマンスができるような状態ではないと感じていたので、すぐに病院に直行して手術を決断しました。当時の監督・コーチ・仲間から、それでも次に向けて頑張れ、これから野球を続けるならここが終わりではないから、という声をかけていただき、それを契機に手術を決断しました。
──靭帯断裂をしてから手術(トミー・ジョン手術)をすぐに決断した理由はどのようなものだったのでしょうか。
このままズルズル痛いな、投げられないな、という思いを繰り返していても仕方ないというのが僕自身の気持ちとしてあったので。とにかく1日でも早く復帰できるようにという気持ちでした。
──生井選手にとって、スポーツにおける「怪我」とはどのような存在だと考えていますか。
怪我は特にスポーツ選手にとってはつきものであるし、その選手生命が終わってしまう可能性もあります。怪我とスポーツは切っても切り離せない関係だと思うので、怪我を恐れながらプレーしてもパフォーマンスは上がっていかないと思いますし、だからと言って怪我していいというわけでもないと思います。
スポーツと怪我は難しい関係性ではあるのですが、怪我をしてもよく向き合い正しく治療することがスポーツ選手として成長する上でも大事な部分だと思うので、怪我に対していかにリスク管理ができるかという部分が大切なのかなと思います。
──怪我をしてから就職活動とリハビリを同時に行っていた当時の心境を聞かせてください。
4年生になった時点ではプロ野球選手になりたいという気持ちが強く、プロ一本という選択肢を取らせていただいていました。もちろん、その時に声をかけていただけるような企業もなかったですし、ましてやトミー・ジョン手術となるとリハビリ期間も長いですし、獲得してくれる企業はあるのかなという気持ちでした。
手術はしてはいいものの、野球ができる時間はあるのかなど、とても不安な状況の中でのリハビリ生活でした。このリハビリには意味があるのかなどと考える時期もなかったわけではないです。そんな中、日立製作所に大学3年生までの活躍を評価していただいて、怪我が完治したらチームに貢献してくれるだろうと入団させていただきました。なかなか難しい気持ちの中での就職活動とリハビリだったので、本当に日立製作所には感謝しかないです。
「勝って反省」 今も息づく慶大野球部の精神
──大学野球の中で、ご自身の中で変化した部分はありましたか。
慶大に進学して一番大きく変わったなと思う点は、ウエイトなどの体に対する意識改革ですね。進学前は基本的にウエイトトレーニングもそれほど行ってこなかったのですが、大学に入ってからは自分でも積極的に取り組むようになりました。その結果、体重も10キロ近く増えて球速も150キロあたりまで伸びるようになりました。
──以前、ウエイトトレーニングは先輩にあたる木澤選手(現ヤクルト)に学んだとおっしゃっていましたが、どのような経緯だったのでしょうか。
もともと大学2年生までは体重も70キロほどしかなく、ウエイトトレーニングをそこまで熱心に取り組むタイプではありませんでした。そんなとき、このままでは怪我をする恐れがあるという話を木澤さんにしていただきました。それをきっかけに、このままより高いパフォーマンスを発揮するためにもウエイトを通して万全な身体を作っていかないと思い、木澤さんの取り組んでいるメニューなどを教えてもらって取り組むようになりました。
──現在プロを志望されているということで、やはり目標の選手として今も木澤選手の存在が心の内にあるのでしょうか。
そうですね。高校、大学と一緒に野球をさせてもらったので、練習態度や生活面などで目指すべき姿は木澤選手の姿だと思っています。僕自身もそのような選手になれるように頑張れたら、と思い今の目標の一つとさせていただいています。
──社会人野球で慶應時代の経験が活かされていると感じる部分はありますか。
慶應での経験は、大学3年生の春に日本選手権で優勝した時のことが強く残っています。優勝したら喜ぶのが普通だと思うのですが、優勝後、宿舎に帰って最初にやったことが反省会でした。何がこの試合でダメだったのかなど、強くあり続けるためにもう次を見据えていました。
「勝って反省」という言葉があると思うのですが、慶應は本当にそれを体現できたチームだと思っています。社会人野球でも、どんな結果であろうとしっかりと反省して次に活かしていくことが大事だと思うので、そういったメンタリティの部分は慶應で最も学べたものであり、現在でも活かされている部分だと思います。
──塾生時代と社会人時代で変化した部分はありますか。
社会人野球というのは、学生野球と異なり「仕事」としてやらせていただいているので、会社を背負って給料に見合った活躍をしなくてはならないというプレッシャーがあります。自分のプレーに対して責任が生じるという点である種プロ野球選手のようなものだと思うので、しっかりと仕事しなければいけないという責任感がますます強くなったと思います。
──社会人野球選手としての自分の立ち位置はどのようなものですか。
実質去年はリハビリに費やさせていただいたので、今年は自分を新人選手だと思って自分のできることを全力でやっていきたいです。そういった意味で、2年目ですが新人のようにハツラツと頑張っていきます。
──怪我からの復帰戦となる今シーズンの意気込みを聞かせてください。
昨年の日立製作所は、都市対抗野球大会と社会人野球日本選手権大会のどちらも逃した形となってしまい、野球部としてはなかなか結果の残せない1年でした。今年は、僕がどんな場面でも泥くさく投げて、少しでもチームに貢献できるような投球を見せ、一勝でも多く都市対抗で勝ち取り日本選手権にも出場できるように頑張っていきたいです。
「慶應らしい」野球を 慶大野球部にエール
──まもなく東京六大学野球春季リーグが開幕しますが、生井選手から慶大野球部にメッセージをお願いします。(取材当時、東京六大学リーグ開幕前)
昨年は東京六大学野球秋季リーグ・明治神宮野球大会で優勝し、その優勝チームというプレッシャーがあると思いますし、代が変わってもプレッシャーがあることにはないと思うので自分たちのやってきた野球をしっかり発揮できるように準備して、「慶應らしい」野球ができることを心から期待しています。
──最後に、塾生全体にメッセージをお願いします。
体育会の塾生と一般の塾生が関わる機会はそれほど多くないと思うので、ぜひみなさんに神宮球場に来てほしいと思います。選手みんなが格好いいプレーをすると思うので、社中一体となって慶應の絆をもっと深めてもらえればなと思います。神宮球場で、みんなで応援しましょう。
(片山大誠)