三田キャンパスにある「旧ノグチ・ルーム」を知っているだろうか。
ノグチ・ルームとは、アメリカの彫刻家イサム・ノグチが設計した談話室で、1951年に三田キャンパス内に建設された。しかし、文化財としての価値が高いにもかかわらず、学生や教職員に利用されることは少なく、2005年には新校舎のテラスに不完全な形で移設されてしまった。
今回は、このノグチ・ルームの事例から、大学における文化財の保全について検討する。慶應義塾大学アート・センターの学芸員である新倉慎右氏に話を聞いた。
ノグチ・ルームの歩んだ歴史
ノグチ・ルームの設計をイサム・ノグチに依頼したのは、慶応義塾の建築物の設計を多数手がけた谷口吉郎だ。昭和を代表するモダニズム建築家で、戦前から幼稚舎や日吉寄宿舎など慶大の建築物を設計し、高い評価を得ていた。
三田キャンパスは第二次世界大戦によって甚大な被害を被ったが、慶応義塾創立90周年となる1947年から復興へ向かう。そこで実績のある谷口がキャンパスの復興を任された。
谷口は戦後の三田キャンパスの構想に際して、福沢諭吉の進取の精神を継承しようとした。なかでも彼は第二研究室の談話室を、慶應義塾で人々の交流の場として機能していた萬来舎の役割を引き継ぎ、人々が交流し対話を深める場所として建設しようとした。第二研究室の計画中、谷口は来日していたイサム・ノグチと意気投合し、ノグチに共同制作を依頼する。その結果、第二研究室の談話室としてノグチ・ルームが誕生した。
ノグチ・ルームは、ノグチが談話室の室内とともにデザインした建築物の前庭と西庭、さらに庭に設置された彫刻の位置関係など、様々な要素が組み合わさって相互に作用する総合芸術であり、文化財としての価値が非常に高いものだった。
しかし、談話室として誕生したノグチ・ルームが実際に活用される場面は多くはなかった。
学生はノグチ・ルームがあった研究棟に行く機会がほとんどないため、利用者は第二研究室を活動拠点とするいくつかの団体に限られていた。そして1985年に大学院校舎が建設されると、ノグチ・ルームはその裏に隠れるような配置になり、人々の意識から徐々に消えていった。
一方、1998年に慶應義塾大学アート・センターが文化財の記録・関連資料の収集を目的とした「ノグチ・ルーム・アーカイヴ」プロジェクトをスタートさせた。慶大の中でも、ノグチ・ルームは重要な文化財として位置づけられていたことがわかる。
ノグチ・ルームの教訓
2002年に、法科大学院建設のため、第二研究室の解体とそれに伴うノグチ・ルームの一部の移設計画が大学により発表された。その後、ノグチ・ルームの保存を求める活動が教職員などを中心に活発化する。しかし、大学側と保存を求める人々の話し合いは平行線が続く。さらに大学側とイサム・ノグチの作品の著作権を管理する米国のイサム・ノグチ財団との折り合いもつけられなかった。その結果、第二研究室の解体とともに、ノグチ・ルームは不完全な形で移設される。そしてノグチ・ルームは、総合芸術という価値を失ってしまった。
新倉氏は、「第二研究室の解体とノグチ・ルームの移設を検討する段階で、専門家やノグチ財団を交え議論するべきだった。移設が決定してから各所に通達するという形をとったことで、文化財の保存をめぐる本質的な議論の機会が失われたことが、不完全な形での移設という結果をもたらしたのでは」と指摘する。
また、新倉氏は、ノグチ・ルームが学生や教職員に十分に活用されていなかったことも移設の原因の一つだとみている。特に、学生にとってノグチ・ルームはなじみの薄い場所になってしまっていたため、学生側では、保全を求める活動があまり盛り上がらなかったという。
新倉氏は「文化財を保存するために活動するのは、非常にエネルギーのいることだ。そのため、親しく通った経験がないと、学生が積極的に保存を求める活動に参加するのは難しいのではないか。文化財の価値を広く伝えるとともに、積極的に活用して価値を共有していくことが文化財の保存には大切だ」と話す。
建築当初の、総合芸術としての価値を失ってしまった旧ノグチ・ルームだが、このような移設の経緯を学ぶことで文化財保存の教訓として生かすことができるだろう。
寄宿舎の保全
日吉キャンパスにある日吉寄宿舎は、1937年に谷口によってデザインされ、慶大の寄宿舎として利用された。しかし戦時中は連合艦隊司令部に接収され、戦後は米軍に占領されたため、寄宿舎として使用された期間は7年に満たなかった。米軍から返還された後も放置され、廃墟同然になっていたが、2010年に寄宿舎周辺の整備が検討され始める。寄宿舎の整備をめぐっては、ノグチ・ルームの事例とは異なり、最初に専門家を含めた諮問委員会が組織され、包括的な議論が進んだ。その結果、3 棟ある寄宿舎のうち、南棟をリノベーションし、残りの2棟は解体せず現状維持することが決定された。大学側は当初、リノベーションしない2棟は解体するとしていたが、専門家を交えた議論の機会が設けられた結果、寄宿舎は解体を免れたのである。
新倉氏は、「利潤を追求する民間企業とは違い、大学という立場だからこそ、解体して土地を活用するのではなく、現状維持するという判断ができたのでは。大学は教育の場である以上、利益や実用性だけでなく、文化財の価値も認識し、その共有に努める必要があるし、それは大学の価値の一部ともなる」と話す。
優れた建築家によるデザインは、実用性だけでなく、より使う人のことを考えて作られている傾向があり、居心地の良い空間を作り出すと新倉氏はいう。
学生が毎日過ごす場所であるキャンパスにおいて、文化財を保全・活用することで、学生や教職員はより豊かな毎日を送ることができるだろう。
(山浦凜)