シスターフッドとは何か。

調べてみれば、「女性同士の連携」や「絆」と表現されている。では、なぜ改めて「女性同士の連携」が「シスターフッド」という言葉として、ジャンルとしてこの社会に存在するようになったのか。

本企画では3回にわたってシスターフッドを読み解いていく。

第2回目となる今回は「書く」視点から。文筆家、岡田育さんに話を聞いた。

 

第1回目はこちらから

 

岡田育様 写真撮影:Omi Tanaka

 

文芸誌「すばる」の連載をまとめた著書『我は、おばさん』などで、女性同士の連帯について分析・執筆してきた岡田育さん。「書き手」の目線から見るシスターフッドとは。

 

岡田さんは、そもそもシスターフッドを描いた作品は近年急速に現れたわけではないと話す。

「昔の作家たちもシスターフッドの物語を世に出そうとしていたと思うけれど、受け手側が追いつけなかった。『女性同士はいがみ合った方が面白い』という風潮もあった。今そこに疑問が呈されるようになって、大きなうねりが生まれている」

一例として挙げられたのは、ディズニー映画『マレフィセント』。プリンセスであるオーロラと、ヴィランであるマレフィセントを、「手を取り合う関係」として再解釈した。

 

続いて、シスターフッドという言葉が生み出しやすい誤解について紐解いていく。「対男性の考え方」だと捉えられることもあるが、本当に女性同士が手を取り合って向かっていく相手は男性なのか。岡田さんは、確かにシスターフッドという言葉は男性社会の当たり前に一石を投じる意味合いを持つことも多いとした上で、こう語る。

「ブラザーフッド(男性同士の連帯)という言葉は人類皆兄弟みたいな素晴らしい意味を持っているが、実際は男性中心の社会をより強固にし、自分達とは異なる存在(=女性)を排除してきた側面もある。女が連帯すると男が虐げられる、と恐れられる背景には、そういったこれまでの社会の後ろ暗さがあるのではないか。しかし、シスターフッドの目指す先が、男性のいない社会だというのは大きな誤解です。今以上に性差別が強かった時代に、最初に女性の味方になってくれたのは女性だった。その繋いだ手を大事にしたいというただそれだけの話で、弱い立場に置かれた者同士が助け合う連帯の形の一つにすぎません」

 

また、岡田さんはシスターフッドという言葉に息苦しさを感じてほしくないと、女性に向けて呼びかける。

「女はいつでも男の庇護を求めなければならない、なんて決まりがないのと同様に、女性だからという理由で、この世に生きる女性皆と仲良くしなければいけないわけではない。手を握り合う相手は自分で選ぶことができる。自分達を苦しめてしまうようなしがらみに目を向けるんじゃなくて、『いや、私はこっち(連帯)を選びますんで』っというオルタナティブを多様にしていけたら、生きやすいですよね」

 

新しい緩やかな連帯の形は「姉妹」の定義をより大きく拡げていく。

「年が近い友達だけでなく、人生の大先輩とか、これから生まれてくるような後輩とか、そういう人たちと連帯できたらすごくプラスになると思う」

書く立場から、岡田さんはシスターフッドについてこう語る。「女性に限らず、この社会で苦しめられてきた人がいる事実に目を向けて、社会を平等に戻して、同じ過ちを繰り返さないようにしたい。インクルージョン(包摂)の観点から、気に留めてほしい言葉ですね」

 

最後に、初めてシスターフッド作品に触れる読者に向けてこう話した。

「大々的にシスターフッドと銘打った作品でなくとも、本の中に数行、映画の中で数十秒、『これは』と気づくかもしれない。『現実世界で助けてくれる人なんていないもん』と嘆く人でも、フィクションの中にロールモデルを見つけられれば、自分が行動に移しやすくなるかも」

シスターフッドとは社会皆で手を繋ぐための第一歩。私たちがそうされてきたように、次世代にバトンを繋いでいきたい。

 

次回最終回は「選ぶ」視点からシスターフッドについて考える。

 

小島毬