昨年の食品偽装の問題、そして1月末の中国冷凍餃子事件。食を巡る関心はますます高まっているといえる。これを機に多くのメディア媒体も「食」に関する特集を組んでいる。

 私がメディアを見ていて疑問に思ったのは、「食品偽装問題」と「中国冷凍餃子事件」が「同列」の問題として語られていることだ。同じ食の問題ではあるが、そこには重大な性質の違いが見落とされていたのではないか。一連の流れを整理しながら説明していきたい。

 2007年6月のミートホープの「牛肉偽装」を皮切りに、白い恋人、赤福、船場吉兆の消費期限関連の偽装が明らかになった――。これらの問題は、「企業の不祥事」という文脈で、涙ながらの「謝罪会見」とともに非難され叩かれた。彼らに同情する面はなくはないが、経営陣の意図的な行為だったという意味では、非難を受けることは仕方のないことではあった。

 そして今回の「中国冷凍餃子事件」である。依然として原因は明らかではないが、専門家の中では「故意による混入」で一致している。検出された農薬濃度が基準値から何万倍以上であることから、従来からの「残留農薬」の問題ではなく、悪意を持った何者かによる人為的かつ例外的な事件であった。

 もしこの事件をこれまでの食問題の系譜に載せるならば、森永グリコ事件や和歌山カレーヒ素混入事件などと同じ「食品テロ」に当たるであろう。

 もちろん、だからと言って、事後対応が遅れた「JTフーズ(及び生協)」の責任がないとはいえない。ただ、今回の事件が、昨年の食品偽装の「不祥事」とは毛色の異なる「例外的事件」であったことは、アナウンスしてもし過ぎることはないと私は思う。

 同様に、「中国産が危ない」という扇動的な報道も注意して見る必要がある。そもそも輸入品の検疫違反率をみると、アメリカやベトナム、台湾よりも中国の方が低い。反日運動やチベット問題などの「中国イメージ」が影響しているのかもしれないが、食の問題はそれとは切り離して、冷静に見ていく必要があるだろう。

 最後に私が疑問に思うのは、民のことは民に任せろと言いながら、今回のような事件が起こると、行政に依存しようとする国民の態度である。今回の事件が起こった後、「水際の検査強化」や「消費者庁の設立」などが叫ばれ、国民もそれを歓迎するかの世論が形成されたが、先に述べたように今回の事件は「例外的なケース」である。「水際の検査」を強化しても、「安全」には必ずしも寄与しない。しかもその検査費用は誰が負担するのであろうか。我々はそれを負担する覚悟があるのだろうか。もう一度考える必要がある。

(小串聡彦)