現代経営学の父、ピーター・F・ドラッカー。著作は日本でも広く知られ、ビジネス界を中心に熱い支持を受ける。上田氏は、彼の主要著作すべてを日本語に翻訳してきた。「ドラッカー翻訳歴35年」。その始まりは大著『マネジメント』との出会いだった。
上田氏は慶大経済学部を卒業後、経団連に就職。職場の先輩から「経済の勉強をするなら、英語で書かれた経済書を翻訳するのが一番」と言われ翻訳活動を開始した。
その後は年に1冊ほど翻訳していたが、35歳のとき、『マネジメント』の翻訳チームに誘われた。上田氏は原書を読んで心を突き動かされる。
「ドラッカーの世界には、理屈を超えた人間社会の真理が存在する」。
しかし一方で、この本は日本語版で上下1300ページにも及ぶため「広く読まれるには厚すぎる」と感じた。そこで「『マネジメント』の感動を日本中に伝えたい」と思い立った上田氏は、ドラッカーに「あなたの『マネジメント』の要点をまとめます。それを日本語に翻訳させてください」と手紙を書いた。
その結果生まれたのが『抄訳マネジメント』であり、それをさらに凝縮した『エッセンシャル版マネジメント』だった。しかも完成する過程で信頼関係が生まれ、それ以降、上田氏はドラッカーの著作のほとんどを訳すこととなる。
「本人が日本語の達人だったら、どのように書くか。それだけを意識してドラッカー作品と向き合ってきた」と振り返る。
今、ドラッカーの『マネジメント』は、高校野球を舞台にした青春小説で注目を浴びている。
『もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』、通称『もしドラ』は発行部数80万部を突破し、勢いが止まらない。
『もしドラ』の著者である岩崎夏海氏は、上田氏が要約し翻訳した『エッセンシャル版マネジメント』を読んで感動して、作品を構想したそうだ。上田氏も「岩崎さんは『マネジメント』の本質を正確に把握している」と絶賛する。
なぜ、「企業経営」についての本がここまで人々を感動させているのか。
上田氏は「企業経営の目的は利益をあげることではなく、社会に必要な財・サービスを供給すること。そして働く人に仕事を通じて自己実現させること。それがドラッカーの経営思想の原点だ」と話す。
ドラッカーは05年に惜しまれながらもこの世を去った。しかし、彼が残したメッセージは、上田氏が翻訳した文章を通して日本の読者に感動を与え続ける。
「もはやドラッカー抜きにマネジメントを論ずることも、学ぶことも、マネジメントすることもできない」。
(横山太一)