5月24日、三田キャンパス北館ホールにて、連続講演「音としての『精神』― 音楽を通して『近代』を再考する」が開催され、ピアニストの仲道郁代さんと慶大名誉教授の斎藤慶典教授(現象学・西洋近現代哲学)が登壇した。

 

2027年には演奏活動40周年を迎える仲道さん。国内外で常に高い人気を博し、これまで全国各地で、延べ2500回を超えるリサイタルを実施してきた。2027年がベートーヴェンの没後200年と重なることもあり、「仲道郁代 The Road to 2027 リサイタル・シリーズ」を企画している。連続講演はそれと並行する形で行われているものだ。第6回目となる今回は、「劇場の世界」をテーマに開催された。

 

講演では、仲道さんと斎藤教授が、ベートーヴェン作曲の『ピアノ・ソナタ第18番』やシューマン作曲の『謝肉祭 Op.9』などを、それぞれの視点から紐解いていった。仲道さんのピアノ演奏を交えながら、作品の解釈についての哲学的な対話が繰り広げられる講演であった。

 

講演後、仲道さんと斎藤教授に講演でのエピソードや仲道さんの学生時代について聞いた。

(ピアニストの仲道郁代さん・斎藤慶典名誉教授)

 

ご講演お疲れ様でした。まずは本日の感想をお聞かせください。

(仲道さん)

すごく頭を使いましたね。音は曖昧ですから、音が何を意味しているのかは言葉にしないと認識できません。この講演会は、音を言葉にして考えられるすごく良い機会です。

 

一方で、言葉を使った(音の)定義には限りがあります。演奏するときには、言葉による定義から再び離れてそれ以上の可能性を音の中に見出す作業が必要です。講演会によって、そのとても精度の高い往還作業をさせていただいています。

 

三田キャンパスでの連続講演が始まった経緯を教えてください。

(斎藤教授)

「The Road to 2027」の各回のタイトル(「パッションと理性」「悲哀の力」「音楽の哲学」「生と死の揺らぎ」「知の泉」「劇場の世界」など)に非常に感動し、哲学者として語りたいことが山ほどあると思いました。ぜひ三田にお呼びしてとことん議論したいという思いで、仲道さんへ直々にお手紙を書きました。

 

斎藤教授からオファーをいただいた時、仲道さんはどのようなお気持ちでしたか。

(仲道さん)

斎藤先生はタイトルに込めた思いを哲学の視点で解き明かしてくださると思って、ぜひご一緒したいと思いました。

 

連続講演での学びや気づきは、どのように演奏に活かされていますか。

ピアノは楽譜通り弾くだけも楽しめますが、演奏家としては、作曲家が作品に込めた思いを汲み取り、それをどう表出させるかを考えます。講演での学びを通して考えを何度も反芻させることで、私が音に込める思いや、それを実現するための弾き方というのが明確になっていきますね。

 

一方でベートーヴェンは偉大なので、なかなか近づききれないという思いも常に感じています。それでも偉大な先人が後世に伝えたいと思って書いた作品を、自分なりに解釈するのはすごく幸せですし、意味のあることだと思います。ベートーヴェンの思いや言葉は決して古いものではありません。今の社会の中でも意味を持ち、私たちを勇気づけ、考えさせてくれます。

 

演奏しながら、講演の内容を思い返すことはありますか。

練習する時は、講演会の内容も反芻して、試行錯誤しながら「今回の演奏会で私はこの曲をどのようにプレゼンテーションしようか」と考えます。でも演奏会本番ではそれを取り払い、本当に純粋な音の世界に浸る。そうすると、舞台上でインスピレーションが降ってくるんですよ。インスピレーションは突然湧いてくるものではなく、色々と試して考え抜いたからこそ湧くものだと思います。そしてコンサートが終わった瞬間から、また次に向かって考え出す。1回のコンサートが完成形ではないのです。

(北館ホールでインタビューに応じた仲道さん)

 

ピアノという一つのことを長く続けていく中で、直面した困難をどのように乗り越えてきましたか。

人は「後退している」と思っている時でも、足だけは前に出ているものなんですよ。辛いことがあっても、立ち止まらずに常に足を前に出して生き続ける。たとえその時がつらくても、後から振り返ればそれは豊かな実りになるのだと思いますね。

 

仲道さんはどのような学生時代を過ごしていましたか。

自分でピアニストの道を選んだという感覚がないまま、気がついた時には音楽が大好きで、一生懸命続けてきました。ですが、大学1年生の時に日本音楽コンクールで1位をいただいた時に、私にとっての一番辛い暗黒時代になりました。というのも、それまでは音楽を仕事だと思ったことがなかったので、いざ仕事としての依頼がきた時に「こんな私がコンサートで弾いていいのだろうか」と、自分のふがいなさを感じて、演奏することが本当につらくなりました。仕事として弾くのではなく、まだまだ音楽を学びたいという気持ちが強かったので、ヨーロッパへ留学しました。私にとっては「学びが仕事になる」という切り替わりの覚悟を持つことは、必要なことだったと思います。

 

どちらを選ぶかによって人生が変わる、という選択には勇気がいりますよね。そんな時自分の意思を持ち続けなければ、結局どうにもならないのだと思います。「なるようになる」と単に放っておくのではなく、「なるようになる、ようにしよう」という意思を持つことが大事なのではないでしょうか。

 

もう一つ大切なことは、「人としてこれだけは許せない」ということには妥協をしないこと。仕事では妥協しなければいけない時もあるかもしれませんが、しっかりと「芯」があれば、自分に誇りを持てると思いますよ。

 

仲道さんの「芯」はなんでしょうか。

自分も、他者もリスペクトすることですね。自分をリスペクトするのは、自分に誇りを持つことにもつながります。決して驕るということではありません。

 

学生時代にやっておくべきことは何だとお考えですか。

学生の頃は、1日のうち8〜10時間はピアノを弾いていました。物理的に他にやりたいことを制限することになります。もちろん、学生時代に一つのことに邁進したのはとてもよかったことだけれど、もっと色々なことを知ったり学べたりできたらとも、思いますね。

 

学生の皆さんには、時間が許す限りいろいろなことにトライしてほしいです。でも一人で学べることには限りがありますからね。ですから、教えてもらえることはどんどん教えてもらって、自分の肥やしにすべし、と思います。臆せずに教えてもらって、自分を豊かにできれば、世界は広がっていきますよ。

 

連続講演「音としての『精神』― 音楽を通して『近代』を再考する」は、2027年まで毎年三田キャンパスで開催される予定だ。音を思想・哲学的な観点から捉え、リサイタルで実際に仲道さんの演奏を耳にすることで、新たな音の世界が広がるかもしれない。

 

(堀内未希)

 

【プロフィール】

ピアニスト。桐朋学園大学教授、大阪音楽大学特任教授。2018年より、ベートーヴェン没後200年の2027年に向けて「The Road to 2027リサイタル・シリーズ」を展開中。2021年秋の「幻想曲の模様」では、令和3年度文化庁芸術祭「大賞」を受賞。