お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」や楽曲『PERFECT HUMAN』で一世を風靡し、その後もタレントやYouTuberとして幅広く活躍する中田敦彦さん。慶大入学前からお笑いに興味を持っていた中田さんは、1年生のときに三田祭のお笑いライブに出演したことがきっかけで、その後お笑いの道へと進んだ。人生を変えた三田祭ライブ、大学時代の経験、そして今の塾生へのメッセージ。中田さんに当時を振り返ってもらった。
巨大な何かを手に入れた―三田祭のお笑いライブで輝いた1年生
−−大学時代、お笑いという未知の世界に飛び込んだ当時の心境を聞かせてください。
僕はもともと人前で発表するような人ではありませんでした。それでも一歩を踏み出したということは、(自分は)よっぽどお笑いをやりたかった。人のいない教室に勝手に入って、3人くらいの友達に当時の相方と作ったネタを見せていました。三田祭当日は、緊張というよりも「お客さんに来てほしい」という思いの方が強かったです。必死にビラ配りをしたらすごい人数のお客さんが集まってくれて、「これはもう、やるしかない!」と思いました。そうしたら一発目のくだりがすごくウケたので、そこからはとにかく楽しかったです。今振り返ると、「どうしても好きなことだから」というモチベーションがあったから突破できたんだと思います。
−−ライブの練習をしていて、楽しかったことや辛かったことは。
ライブの計画で仲間集めをしたり、会場を借りたり、そういった一つひとつのアクションが全部面白かったです。「自分でやりたいことをやっている」という感覚が楽しかったですね。辛かったことは、強いて言えば当時の相方とのモチベーションのズレですね。僕がネタを書いていたんですけど、ウケるか不安になってしょっちゅう書き直していました。僕がネタを修正するたびに新しく台詞を覚えなきゃいけないので、相方のモチベーションが低くなってしまうこともありました。
−−本番のライブをどう振り返りますか。
僕たちのネタがウケにウケて、本当に漫画みたいな成功体験でした。ライブが終わった後も、出待ちの女子高生から「あなた絶対プロになれます!」と言われたりもして。巨大な何かを手に入れたぞっていう感覚でした。それまでの人前に立てなかった自分がガラッと変わって、自信がつきましたね。
「一番自信になったのは……」今の活動に活きる慶大での思い出
−−中田さんの現在のお仕事で、慶大で培った経験が活かされることはありますか。
ライブを成功させたことも重要な経験だったんですけど、ビラを配れたことの方が自信になりましたね。漫才と違って、ビラ配りに才能とかは関係ないし、かといって特別かっこいい努力でもない。でもプロになった後も、自分のライブの告知や物販でお客さんに声をかけることが実は一番大事な努力だと思うんです。とにかく情熱とやる気、ハッタリの勝負。ビラを渡したお客さんに「本当に面白いんですか?」と聞かれたら「絶対に面白いです」と答えた。この経験が今の自分の糧となっています。
−−大学時代を通して一番思い出に残っていること、そして後悔していることは。
もちろん三田祭のライブが一番ですが、それ以外だと初めて彼女ができたことも衝撃体験でしたね。すぐに振られちゃったんですけど、甘酸っぱくて良い思い出です。彼女に振られてコンビも解散してしまった2・3年生の時は燻っていましたが、バイトに没頭していたおかげで今の相方の藤森さんに会うことができた。だから後悔していることはないですね。でも、もしもう一回大学生活をやり直せるとしたら別のことをしたいです。起業とかしているかな。
「自分だけの道を進んだ方が絶対に面白い」
−−将来に悩む塾生へのメッセージ
最後に、中田さんのように自分だけの道を進もうとしている塾生、そしてその一歩が踏み出せず迷っている塾生に向けてメッセージを語ってもらった。
周りと全然違う進路をとるって、すごく勇気が入りますよね。僕自身もお笑いの道に進もうとしたときには葛藤しました。父親にも「お笑いはまともな人間がやる職業じゃない」とか言われたり。自分の信じたお笑いをやり続けることは、本当に孤独な戦いでした。
その一方で、自分の人生の選択肢が狭いなと感じてしまうのが、就職活動が始まる大学3・4年生くらいの時なんですよね。何にでもなれる気がしていたけど、もしかしたら何にもなれないかもしれない。でも、そう感じるのは就職しようとしているからだと思います。就職活動で大企業にしか選択肢がないって思い込むと辛いですよ。本当はいろいろな選択肢が広がっているのに、自分で見えなくしてしまっているのはもったいない。自分だけの道を進んだ方が絶対に面白いし、価値が出る。とにかく自分を信じることが大切です。信じて信じて信じ抜いて、そして周りを信じさせて成功してください。