『帽子の女』はルノワールの「真珠色の時代」初期の作品だ。若い女性の白いドレスは繊細な色彩でさながら真珠の輝きを放つ。町田智子さんが地方巡回展に心弾ませ、「本物を見たい」と願ったのは小学校1年生の時だ。後のキャリアの原体験だと振り返る。現在は、奇しくも同作品所蔵する国立西洋美術館の評議員を務める。
82年に経済学部を卒業後、朝日新聞社で約40年間主に文化事業に携わり、13年には取締役西部本社代表に就任し、17年には同東京本社代表に就任した。5大新聞社初の女性代表だ。22年の退職後も複数の団体で、文化に関わり続けている。働く女性が少ない時代から走り続けたキャリアを尋ねた。
「男社会でどう生きるかは身近な課題でした」。入学時、経済学部の女性比率は5%ほど。中国語クラスでは女性が町田さん1人という状況だった。高校が理系で女性が少ないことに慣れていたため、何とか乗り切ったと話す。
卒業後は朝日新聞社に入社した。待遇に性差のない企業を選んだが、対外的には女性正社員として驚かれることも。2年目に「肉筆浮世絵名作展」を担当。「肉筆は過去の贋作事件の影響で、当時の美術界ではタブー視されていました。素晴らしい文化なので、粘り強く出品交渉し、開催に漕ぎつけました。社会を動かす仕事ができたと思った瞬間です」。その後も一日平均来場者数世界1位(当年)を達成した09年の「国宝 阿修羅展」や12年の「マウリッツハイス美術館展」を統括。フェルメールの代表作『真珠の耳飾りの少女』が来日した同展では競合も動く中、オランダで交渉に挑んだ。「ビジネスは利害だけで動くものではありません。誠意を尽くし、お互いをリスペクトしながら互恵的関係を構築することが重要。開催が決まるとチームのみんなで大喜びしたものです」
町田さんは、キャリアの中で女性として不利益を被った経験は少ないという。それでも印象に残るのは、西部本社代表就任時。地元有力者の集まる名門ロータリークラブに入る必要があったが、「女人禁制」を維持したいと、申請を辞退させようと動く会員もいた。動じず周囲の応援を得ることで入会が決まり、その後クラブは女性も受け入れるようになった。
町田さんは、これまでのキャリアを「自然体でご縁を大切にしてきた」と振り返る。「一度の出会いは目先の利益で終わるものではありません。自然体で接することで相手も心を開いてくださり、次の仕事に繋がる」。「出会いを大切に」が、塾生に送るメッセージだ。
(和田幸栞)
【プロフィール】
町田智子(まちだ・ともこ)さん
文字・活字文化推進機構専務理事。国立西洋美術館評議員など。82年に慶大経済学部を卒業後、朝日新聞社入社。13年に取締役西部本社代表に就任し五大新聞社初の女性代表となった。
17年から東京本社代表、22年退職。09年「国宝 阿修羅展」や12年「マウリッツハイス美術館展」の開催など、約40年間文化事業に携わった。