「ダブルリミテッド」という言葉を聞いたことがあるだろうか。子どもは通常、生まれ育った環境で使われている言語を母語として身につける。しかし、複数言語環境で育った結果、母語と呼べるだけの十分な力をどの言語でも身につけられない子どもたちがいる。この状態をダブルリミテッドと言い、年齢相応に使いこなすことができる言語を持たない彼らは特に学校生活でさまざまな弊害に悩まされている。
現在日本では、外国人の子ども(日本語を第二言語とする子ども)への日本語教育が問題になっている。公立学校における日本語指導が必要な児童生徒(*1)はすでに5万人を超えているにもかかわらず、彼らのうち2割以上が日本語指導等の特別な措置を受けることができていない(*2)。この現状に対して、日本の教育現場や人々の問題意識はどのように変わるべきなのだろうか。お茶の水女子大学文教育学部で第二言語習得を研究する西川朋美准教授にインタビューし、その答えに迫っていく。
教師教育に改善を
まず、現行の外国人児童への日本語教育にはどのような問題が潜んでいるのだろうか。西川先生は課題の一つに、学校教員の養成過程を挙げている。
「教員免許を取得するとき、教員として必要な知識やスキルを学びます。しかし,外国人児童などへの日本語教育に関する科目が教員養成のカリキュラムに含まれることはほとんどありません」
決して教師自身が怠慢なわけではない。しかし現行の学校教員養成課程のもとでは、実際に教師の仕事をこなす中で初めて外国人の子どもに日本語を教える教員もいるという。たとえ外国人児童への日本語教育に関心を持ったとしても、それをカリキュラムの中で学べる機会はかなり限られているのだ。
ポジティブなイメージも持って
母語と日本語の間で苦労する外国人の子どもたち。彼らを取り巻く環境を思うと、どうしても「かわいそう」「接しづらい」といったネガティブな感情を抱いてしまうかもしれない。しかし一方で、彼らはマイナスなイメージとは正反対の可能性も秘めていると西川先生は話す。
「例えば、バイリンガルと聞いてどのようなイメージを持つでしょうか。多くの人が羨ましい、かっこいいなと思うはずです。日本語学習に苦労する外国人の子どもたちも、母語と日本語の2カ国語を学んでいるという点では同じです。将来彼らは2つの言語を用いて仕事をこなしたり、母国と日本の交流の架け橋となったりすることもできるのです」
もちろん、彼らの活躍を実現させるために乗り越えなければいけない壁は大きい。そして、その課題を解決するために教員が子どもをサポートして育てる。本来これはとてもポジティブなものであるはずだ。外国人児童への日本語教育に対して問題意識を持つことは重要だが、同時に彼らに対するプラスのイメージを持つことも同じように大切だ。
「一緒にいて当たり前」の環境を
深刻であるにもかかわらず、日本語を第一言語とする人にとってはいまいち当事者意識が湧きにくい外国人児童への日本語教育問題。それに対し問題意識を持つのは素晴らしいことだ。しかし、彼らに対する特別な配慮は必要である一方、過剰に特別扱いしない意識共有・環境づくりも大切だ。西川先生は、かつてボランティアをしていた小学校を例に挙げ、次のように語る。
「その学校は約4分の1が外国ルーツの子どもだったのですが、先生の働きかけもあって残りの日本人児童が外国を身近に感じることができていました。自分の周りにカタカナの名前の生徒がいることが当たり前だと思っていたのです」
大切なのは、まず問題意識を持つこと。そして、ポジティブな視点から外国人の子どもの日本語学習を応援し、同時に彼らの母語文化を尊敬することだ。その一歩として、これからも発信され続ける外国人児童の日本語教育問題に目を向け続けてほしい。
(廣野凜)
【脚注】
(*1)日本国籍を含む
(*2)文部科学省総合教育政策局『外国人児童生徒等教育の現状と課題』、令和3年5月