慶大三田キャンパスから歩くこと20分、高層オフィスが立ち並ぶこの街で、増上寺は荘厳な雰囲気を醸し出す。2代・秀忠をはじめとする歴代徳川将軍が眠るこの地にて、今年の1月末、初代・家康から数えて19代目の徳川家広氏が徳川家の家督を継承したことを先祖に報告する「継宗の儀」が執り行われた。
大河ドラマ「どうする家康」で松本潤さん演じる斬新な徳川家康が反響を呼ぶなど徳川家に注目が集まる中、徳川家広さんが思いを打ち明けた。
家広氏のルーツ
家康を題材にした大河ドラマが放映されるというタイミングで19代目のお鉢が回ってきた家広氏であるが、徳川家当主の座は直系で受け継がれているわけではないのだという。「御三家」、「御三卿」で知られるように、15代・慶喜まで続いた徳川将軍家は直系が途絶えた場合、家康の息子たちが開いた分家から、養子として後継者を迎え入れるという体制がとられてきた。
大政奉還によって将軍職こそ15代・慶喜で途絶えたものの、慶喜の養子として御三卿・田安徳川家から迎え入れられた家達氏が16代目となり、その息子・家正氏が17代目となった。そして家正氏の娘・豊子氏と徳川家一門である会津松平家の松平一郎氏が結婚して生まれた子供が、家広氏の父親で18代目の恒孝氏なのである。そして、先日父の後を継ぎ、家広氏が19代目となったのだ。
家広氏と徳川家康
江戸に幕府を開き、250年に渡る太平の世の土台を築いた徳川家康。歴史に残る大偉業を果たした彼は、多くの小説家や脚本家の題材の対象になり、人々に親しまれてきた。しかし、家広氏は小説などとは違った視点から家康について考えることが自身の使命だと語る。
「小説家の方も真実に肉薄しようとはしています。しかし小説はあくまで面白ければそれでOK。私としては、自分のご先祖様のことなので、真実の家康像について考えるということを続けています」
家広氏からみた家康
家広氏は実際の家康像についてこう述べる。
「意外にも、今大河ドラマで演じられているような、どこか頼りない感じが真実に近かったのではないかと思います」
従来、「鳴くまで待とう時鳥」と伝えられるように、したたかな陰謀家というイメージが持たれがちな家康であるが、松本潤さんが演じるように繊細な家康像のほうが真実に近いようだ。
家康が天下を治めることができた要因については次のような見解をもつ。
「織田信長や豊臣秀吉のような突出した天才ではなかったことが、彼の最大の成功の要因だったと思います。信長や秀吉とは一線を画す存在であったからこそ、彼らに苦しめられた大名の気持ちを汲み取ることができた、そのことが、関ヶ原の戦いの勝利に繋がったのではないかと思います」
参勤交代の意外な側面
「今は少しずつ変化してきたものの、父が若い頃の日本には、鎖国や参勤交代といった徳川幕府が行った政策を頭ごなしに否定する風潮がありました」
確かに参勤交代は大名を国元から江戸までの長い距離を頻繫に移動させることによって、彼らの力を消耗させることが目的だったという学説を耳にしたことがある人も多いだろう。しかし、家広氏はこう続ける。
「参勤交代は大名を苦しめるために行われていたのではなく、戦国時代直後の不安定な世情ということもあり、各国の大名を江戸に集めることによって、大名同士の親睦を深めさせることが目的でした。それと同時に大名たちが江戸において同じ文化を共有することによって日本が一つの国としてのまとまりをもつようになったのです」
このように、参勤交代をはじめとする徳川幕府の政策が後世の人々から不当な評価を受けてきたという経緯もあり、家広氏は徳川家当主を務める傍ら、徳川記念財団の理事長として、江戸時代についての正確な研究を奨励し、優れた研究に対しては「徳川賞」を授与するなど顕彰活動も行っているという。
最後に塾生に向けてこう語った。
「好きなことを見つけて打ち込んでください。一生の財産になります」
(吉浦颯大)