1960年生まれ。1983年経済学部卒業。E.H.ハットン、リーマン・ブラザーズなど外資系証券会社での勤務を経て、1998年青山学院大学大学院でファイナンス修士取得。2001年に株式会社インテグレックスを設立。著書に『社会責任投資とは何か』(生産性出版、2003)。2010年より政府の「新しい公共」円卓会議メンバーを務める。
1960年生まれ。1983年経済学部卒業。E.H.ハットン、リーマン・ブラザーズなど外資系証券会社での勤務を経て、1998年青山学院大学大学院でファイナンス修士取得。2001年に株式会社インテグレックスを設立。著書に『社会責任投資とは何か』(生産性出版、2003)。2010年より政府の「新しい公共」円卓会議メンバーを務める。

2008年9月、一つの金融機関が破綻した。アメリカを代表する名門投資銀行・証券会社リーマン・ブラザーズ。世界的な金融危機の序章としてご記憶の方も多いだろう。
秋山をね氏にとって、リーマンの破綻は単なる「遠い異国の大ニュース」ではなかった。そこはかつて、自身がトレーダーとして多忙な日々を送った職場だった。だがすでにその時、彼女は自ら会社を設立し以前とは異なる道を歩んでいた。
秋山氏が社長を務める株式会社インテグレックスの目的は「誠実な企業を応援すること」。企業の社会的責任(CSR)を推進する事業など行っている。
元々は途上国の経済や国際公務員の仕事に関心があったという秋山氏。塾生時代は故矢内原勝教授のゼミで開発経済を学んだ。4年時には、海外志向の強い知人に触発されてアメリカのブラウン大への交換留学も経験する。
「留学により、外国企業で働くことへの違和感がなくなった」と秋山氏は振り返る。当時はまだ日本企業が女性の活用に消極的であったこともあって、卒業後は外資系の証券会社に就職した。
だが予想外の壁にぶつかる。トレーダーの仕事に興味を持ち希望を出したが、日本人の女性であるという理由で拒否されたのだ。転職を決意し、直属の上司と共に他社へ移った。
転職後、秋山氏はトレーダーとして憧れだった国際金融の最前線での仕事を精力的にこなしていく。会社がリーマンに吸収された時も解雇されずに残ることができた。一方で、誠実さや努力とは関係なく「いくら儲けたか」だけで社員が評価されることには疑問を抱いたという。
出産を機に退職。子育てと並行して大学院で修士号を取得し、日本の証券会社に再就職した。海外勤務から戻って間もなく、秋山氏に更なる転機が訪れる。「社会的責任投資(SRI)」の存在を、同僚を通じて知ったのだ。
SRIとは企業の誠実さや社会的責任を果たしている度合いを基準に行われる投資。欧米では年金の運用方法などとして活用が進んでいるが、日本では当時ほとんど一般的ではなかった。
「日本でも広めなければ」。秋山氏は仲間たちとSRIを普及させるための会社としてインテグレックスを立ち上げる。SRIとの出会いからわずか半年での設立。「自分が会社をつくることになるなんて、昔は考えもしなかった」。
トレーダー時代に抱いた疑問に対して、やっと見つけた答えだったからか。収入ゼロの状態が2年続いても耐え抜いた。「熱病にかかっていたようなもので」と秋山氏は笑う。
SRI関係の業務は今でも会社の主要な柱の一つ。日本のSRI市場は拡大を続けているが「まだまだです。全く目指していたところには達していない」と語る秋山氏の熱が冷める気配は当分なさそうだ。
「若いうちから自分の将来を決めつけないでください。広い視野を持って何でも色々なことにチャレンジしてほしい」と秋山氏は学生にメッセージを送る。
留学に転職、大学院での勉強、そして起業……多彩な経験に裏打ちされた秋山氏のしなやかな強さを、穏やかな物腰の背後に感じた。
(花田亮輔)

編集後記

JR恵比寿駅に近いオフィスでのインタビュー。取材というより人生の先輩にアドバイスを伺うような雰囲気で取材は進んだ。

特に印象的だったのは、人生における決断の基準について、秋山氏が語った言葉。「何か別のものから逃げるためではなく、本当に自分がしたいと思っているかどうか」。「逃げるためではなく」という部分にギクリとした。

今(6月)ぐらいの時期となると、大学のキャンパスからは新年度開始直後と比べ講義に出る学生が大分少なくなったように感じられる。ほかのものに時間を優先的に割くようになったためだが、果たしてそれは各人が真に自分のやりたいことを優先した結果なのか。「やりたいこと」ではなく「やりたくないこと」先にありきの逃走ではないのか。

今一度、秋山氏の言葉をしっかりと反芻したうえで残り少ない大学生活を送りたい……と、課外活動を理由に授業に遅れた日に記す。