国際問題の知識を深め、啓発することを目的に活動する慶應義塾大学公認学生団体S.A.Lで「あじさいプロジェクト」の代表を務める阿部翔太郎さん(法3)。現在福島県の原発被災地である大熊町を中心に活動している。2021年には団体がおこなってきた聞き書き活動の記録を収録した冊子『架け橋』を環境省と合同で完成させた。去年からは大学を休学し、一時的に福島県に引っ越して現地で暮らして活動している。今年4月から慶應生向けの福島第一原発の見学会を開催する予定だ。
「まずは大熊に来てみてほしい」そう呼びかける言葉にはこの1年肌身で感じてきた大熊への愛情と熱意がこもる。これまでの活動と今後の展望を聞いた。
——阿部さんはどこで活動されていますか。
福島県双葉郡大熊町で活動しています。双葉郡の双葉町と大熊町には福島第一原発があります。もともと所属していたサークルのS.A.L.の活動で双葉郡大熊町の方にインタビューをする活動をしていて、今は1年間休学して大熊町の隣の浪江町に住んでいます。
——大熊町ではどのような活動をしてきましたか。
去年まではS.A.L.の活動で環境省と一緒に聞き書きをおこなっていました。町の方に話を聞き、本にまとめるという活動です。大熊町は2019年まで8年間、人が住めない状況が続いていて、今も広い範囲で人が入れない場所になっていたり、中間貯蔵施設になっていたりします。震災前はどのような町だったのかを聞いて残さなければ、大熊町はどんな町だったのか分からないまま、「原発事故によって人がいなくなった町」になってしまう。そこで、昔の町の様子や文化を聞いて記録として残していく「聞き書き」の活動をおこなっています。今年で環境省との連携は終わってしまいましたが、S.A.L.の活動は続いていて、聞き書き活動やドキュメンタリーの撮影をおこなっています。さらに、大熊のことを知ってもらうためにメンバーの出身校での出張授業や大熊の人から当時の経験を聞く授業なども行っています。
大熊を知るために「住んでみる」
——休学して福島に住まわれているようですね。そのような決断に至ったのはどうしてですか?
そうですね。大熊の人とお酒を飲みたいと思ったからです。というのは、以前から大熊町には通いで行っていたのですが、それだけだとあくまで取材する人とされる人の関係にしかなれないと思って。実際にそこで住み、ときどき大熊の人達とお酒を飲むような関係を築いてこそ、大熊のことや震災のことをもっと分かるようになるのではないかと思ったんです。自分がもっと大熊のことを知りたいと思ったし、どのような暮らしをしているのかを同じ目線で見てみたいと思った。そのためには「住んでみる」くらいのことをしないと足りないという思いがありました。
——「住んでみる」というのはかなり大きな決断だったのではないかと思います。そこまで阿部さんを突き動かしたきっかけはなんですか。
冊子『架け橋』の完成報告会を大熊町役場でおこなった際に、取材しに来てくれた記者の方に「こっちの言葉(福島の人々のなまり)はわかりましたか?」と聞かれたのがきっかけになりました。それまで何度も聞き書き活動をしていましたが、なまりで聞き取れないことが何度もありました。記者の方にとっては何気ない質問だったのだと思いますが、「この町のことを全然知れていなかった」ということに気づかされた言葉でした。
——実際に住んでみて分かったことはありましたか。
まず、なまりは正直まだ分からないです(笑)。1年間住んだからといって十分なわけではなく、まだまだ知りたいという気持ちがあります。その上で、この1年間の変化は、大熊の人を一人の人間として見るようになったことだと思います。「被災者」「大熊の人」ではなく、一緒にお酒を飲む友達、一緒にバイトする同僚という関係性になった。もちろん被災されて辛い思いや困難な悩みを抱えているのも確かですが、そういった人々を乱暴に「被災者」として括ってしまうことの暴力性を自覚するようになりました。それによって、本当の意味での震災の被害や意味合いが見えるようになってきたと思います。
福島だけの問題ではない
——阿部さんの活動の目的はなんですか。
大きく二つの軸があります。一つは震災のことを後世に伝えていく縦軸。もう一つは福島だけで震災や原発のことを考えるのではなく、日本全体で考えていこうという横軸です。震災のことを伝えたいというよりも、福島が抱えている問題が福島だけの問題ではないということを伝えていきたいという思いがあります。福島の原発で発電された電気は主に関東地方の人々が使っていたわけですし、そもそも自然災害はいつどこで起きるか分からないので誰もが当事者になり得ます。だから原発反対を訴えたいのではなく、原発廃棄物の問題や経済的なリスクについて皆で考えていこうよというのが一番言いたいことです。皆で考えるきっかけ作りや枠組み作りを進めていきたいと思っています。
——聞き書きを冊子『架け橋』にまとめられたということですが、どのような冊子ですか。
大熊町出身の16組23名の人々の聞き書きをそのまま掲載した冊子です。震災前の街の様子や人々の営みを、その人の目線で語ってもらっています。震災によって失われてしまった町の暮らしを記録として残していくのが目的です。
——震災前の暮らしを残していく意味は何ですか。
まず、単純に残していくべきでしょ、と思います。そこに人と暮らしがあったことが忘れられてしまうことは悲しいなと。そして「大熊町は原発があるから特殊な町だった」という捉え方ではなく、そこにも自分たちと同じような普通の生活があってそれが失われてしまったという捉え方をしなければならないと思います。大熊町を「特殊な町」として距離を置くのではなく、そこにも普通の暮らしや特有の文化があったという理解をしないと、原発事故の被害や奪ってしまったものの大きさを本当の意味で理解できないと思います。
——聞き書きの魅力は何ですか。
一人称ベースであることです。話し手の語り口をそのまま文字にするという手法なので、一人一人の人間ベースで震災や原発、福島のことが語られます。したがって、一人の人間のありのままの言葉で福島のことを見つめ直せるという部分が魅力なのかなと思っています。
聞き書きを読むことによって当事者性を持って、同じ視点に立ってもらえるのではないかと思っています。特に最近は、当時小学生だった人に聞き書きなどを行っていて、それを今の小学生に読んでもらうことで自分ごととして捉えてもらえるように試みています。
震災を体験していない世代に伝える
——小学校への出張授業もおこなっているということですが、震災を体験していない世代に伝える上でどのようなことが大切になってくるのでしょうか。
僕たちも第二次世界大戦や阪神淡路大震災は経験していないですね。僕自身もそのような経験していない過去の出来事に対して、当事者意識をもって受け止めるのは難しいなと思います。それでも、どうにかして教科書上の知識で終わらないように、当事者意識やリアリティを持って受け取ってもらわなければ、また同じようなことが繰り返されてしまうし、福島が抱えている問題を解決することができないと思います。
そのリアリティを伴って知ってほしいという考えから、震災を体験した大熊町の人に実際に東京に来てもらい話してもらうという活動をおこなっています。
福島第一原発の見学会
——阿部さんは今後どのように活動していきますか。
自分自身が「架け橋」のような存在になりたいと思っています。僕自身は横浜出身で活動を始めるまで福島には全く縁がなかったのですが、さまざまな偶然によって福島と深い関係を持つようになった今、僕以外の人にももっと福島に関心を持ってもらいたいと思っています。原発の見学会などを開催することで、自分の周りの人から福島に感心を持つ人を増やしていきたいと思います。
——今お話に出てきましたが、4月から開催されるという福島第一原発の見学会について教えてください。
経産省のエネルギー庁の方のご協力で開催できることになった少人数の見学会です。少人数のため東京電力の見学会では見られない場所も見学できる貴重な機会です。
具体的には、事故のあった1~4号機の建屋をかなり間近で一望できる展望台や処理水のタンクの他、事故が起きていない5号機の格納容器の中や使用済み燃料プールを見学します。
——阿部さんが実際に見学された時にはどのようなことを感じましたか。
まず第一に「こんなに中まで入れるのか」という驚きがありました。防護服を身につけてはいますが、放射線量の状況がここまで改善されているということが印象的でした。そして、あらためて間近で折れ曲がった建屋などを見ると事故の大きさを感じました。12年前、小学生だった時にニュースで見ていた事故が、本当に大変なことだったということを、改めてリアリティを持って感じられました。実際に行って見てもらうことが、原発事故に一人一人が向き合うために大事なことなのではないかと感じました。
——実際に「行って」「見る」ことの意味は何でしょうか。
大熊に来ることの意味は、現場を見ることだけでなく、現地の人と触れ合うことが大事だと思っています。外から見ると大熊の人は悲しんで苦しんでいる被災者としてしか見えないかもしれませんが、実際にはそれだけじゃないということが、接してみると分かってくると思います。震災の爪痕を見ること以上に、町の人や見学会を案内してくださる経産省の方としゃべる経験によって、現地の人に対する勝手なイメージを吹き飛ばして、リアルに学ぶことができると思います。
大熊と関わっていく
——阿部さんの今後の目標は何ですか。
大熊町で起業するとか、PR活動をするとかして大熊町に貢献したいという気持ちよりかは、今後も大熊町の一人の関係人口でありたいです。何かの縁でつながった大熊との関係を今後も大事にしていきたいと思っています。そして、自分の家族や友人などの周りの人に福島に関心をもってもらいたいなと思っています。
——これからも大熊町に関わっていたいと思う理由、大熊の魅力は何ですか。
良い人が多い、面倒見が良い人が多いことです。田舎ならどこも同じだと言われるかもしれませんが、横浜の住宅街で育った僕にとっては、人とのつながりや温かさを感じられるのが素敵だなと思います。あとは夜、星空がきれいなことですね。
——最後に読者にメッセージをお願いします。
まずは福島にぜひ来てほしいです。根底には、皆に原発の問題について考えてほしいという思いがあるのですが、それは難しくハードルの高いことでもあります。だからこそ、まずは一度来て現地を見て、人と話してもらいたい。それをきっかけに福島に関心を持つ人が増えたら良いなと思います。
あじさいプロジェクト福島第一原子力発電所見学会の詳細はこちらより。
(野宮勇介)