今年3月31日をもって、文学部人文社会学科教育学専攻の安藤寿康先生が退職する。安藤先生の専門分野は、教育心理学と行動遺伝学だ。とりわけ行動遺伝学の分野では、遺伝と環境が持つ人間への影響を科学的に解明するため、一卵性双生児と二卵性双生児を比較して調査を行う「ふたご研究」に、長年にわたり尽力した。行動遺伝学のパイオニアとして活躍した安藤先生に、現在の心境や学部時代から在籍した慶大での生活について話を聞いた。

現在の心境

「少し前までは定年退職という意識すらありませんでした」と安藤先生は話す。退職後の過ごし方は、ピアノ演奏や山登りといった趣味にいそしむほか、これまでの研究生活を通して蓄積したふたご研究のデータを分析し、論文執筆にも着手したいとのことだ。

「今までは授業準備や会議で研究のための時間が分断されがちでしたが、退職後は本腰を入れて研究だけに集中できます」と先生は笑った。

慶大で過ごした学生時代

安藤先生は1977年、慶大文学部に入学。各大学の学生自治会が政治的活動をしており、当時の慶大にもまだ学生運動のくすぶりが残っていた。クラシック音楽が趣味ということもあって、当初は美学美術史専攻を希望していた。しかし子どもの音楽的才能を育む「スズキ・メソード」と呼ばれる早期教育に関心を持ち、教育心理学が学べる教育学専攻に進むことに。ワグネル・ソサィエティー男声合唱団で伴奏を務め、音楽作りを学んだことも、よい経験だったという。

学部卒業後は慶大大学院に進学し、本格的に教育心理学の研究を始めた。「教育学者で遺伝を扱っている人は少ないので、遺伝を専門にすれば第一人者になれるだろう」という並木博教授(当時)の助言も、研究者としてのキャリアに大きな影響を与えた。

行動遺伝学のパイオニアとして

先生の専門である行動遺伝学は、人間一人ひとりが持つ能力やパーソナリティに対して、遺伝と環境がそれぞれどのように影響しているかを解明する研究領域だ。「行動遺伝学というと遺伝の研究だけをしていると思われがちですが、重要なことは遺伝と環境の相互作用です」と安藤先生は話す。

人間の能力やパーソナリティは、遺伝の影響に起因する部分が大きいことが、先生の研究からも明らかになっている。しかし同じ遺伝的性質を持っていても、環境によってその性質が強く発現する場合とそうでない場合がある。遺伝が人間の人生に大きな影響を与える一方で、環境も非常に重要な要素なのだ。
「環境によって人の内側の才能を発揮させることが、教育のテーマなのです」と先生は語った。

行動遺伝学という学問領域を扱っているため、テレビ番組を中心とするメディアへの出演や、『日本人の9割が知らない遺伝の真実 』(SB新書)など、研究に基づく著書の執筆も数多く経験した。遺伝が人間形成に大きく関係することについて社会に発信し続けているものの、メディアでは行動遺伝学のごく初歩的な部分しか紹介されないことや、自身の主張が単純な「遺伝決定論」と誤解されることも多かったという。

現代の塾生へのメッセージ

学部時代から慶大に在籍していた先生は、現在の塾生について、「要領がよく、人前での発表が上手な学生が増えた」と評価する。しかし、教授の学生時代と比較すると、「講義よりも好きなことに打ち込むような、サークル活動や趣味に深く没入する学生はかなり減った」と考える。

「慶應の名前で生きていこうとするな」
社会で一人歩きしている学校のネームバリューに頼るのではなく、自身の内面を磨いてほしいという願いから、先生は毎年の卒業式で塾生にこう伝えている。

「慶應という学校のブランドではなく、中身を大切にしてほしい。大学名を言わずとも、社会で一目置かれる人間になってください」

(山口立理)