忘れられない教師がいる。中学生の頃に出会った数学教師だ。彼は病気の後遺症で上手く話すことができず、授業はほぼでたらめ。黒板にミミズのような文字を残し、終了のチャイムと同時に教室を去っていった▼彼の声はわがまま盛りの中学生のお喋りに掻き消された。私も彼を嘲り、病前は立派な先生だったと聞かされても鼻で嗤った。弱々しい彼の姿が反抗心を掻き立てた。結局彼は1年間の職務を全うすることなく私たちの担当を外された▼一昨年に彼の訃報を聞いた瞬間、背筋の凍るような罪悪感を味わった。後遺症と闘いながらも教壇に立ち続けた彼には、私たちに伝えたい想いがあったはずだ。しかし私は彼の望みを踏みにじってしまった▼後悔の念も喉元を過ぎれば忘れてしまうもの。大学生になっても漫然と講義を受けている自分に、彼の姿がふと頭をよぎっては一喝する。目の前の人間は学問を通じて何を訴えようとしているのか。それを汲み取るのが学生の役目であり、醍醐味なのではないか▼淡々と進む講義の端々に、ちらりと見える教員たちの人生。それを享受し糧とできるか否かは我が身次第だ。ざわついた大教室の一角で姿勢を正す。 (田中詠美)