慶大の通信教育教材や学部機関誌の製作、海外から慶大へ来る研究者向けの不動産賃貸業まで営み、慶應義塾を出版という点から支えている慶應義塾大学出版会。1947年に慶應通信教育図書株式会社として創立され、今年で創立75周年を迎える。これまでの歩みと、激変する出版業界でどう生き残っていくのか。依田俊之代表取締役社長に話を聞いた。
――出版会のこれまでの歩みについて教えてください。
1948年の5月にスタートした慶大の通信教育課程の教材製作や事務作業の一部を担うために1947年11月慶應通信教育図書株式会社として設立されました。その後は、法学研究会の学会誌である法学研究を皮切りに、経済学会の三田学会雑誌、商学会の三田商学研究など学部関連の学会誌の制作や義塾の機関誌『三田評論』の制作も請け負うようになりました。
1996年には現社名である慶應義塾大学出版会に改称し、一般書店に流通するような本の刊行を本格的に始めました。ここ数年は一年間におよそ60点から70点の新刊を刊行しています。
特に重視する学術書出版においては、1998年に設立された慶應義塾の学術出版基金をもとに塾員の研究者や義塾の教員の方々の著作を刊行しています。また、不動産関連事業として、当社オフィスの上層階等を海外から慶大に来る短期研究者向けの宿泊施設として慶應義塾に貸し、その入居者の管理業務も行っています。」
――出版というよりも、大きな形で慶大の裏方を支えるような事業展開というイメージに近い?
出版というものを基本に据えて事業に取り組んでいます。そのため、裏方全体というよりも出版があくまで中心にあると捉えていただければと思います。
――創立75周年を迎えて率直な感想は?
日本企業の平均寿命が2、30年と言われる中、75年続いてきたのは非常に喜ばしいことです。また、企業は社会的意義がないと続かない。その点では、我々の出版を中心とする事業が社会的に認められている証左なのだろうと思います。
ただ当社が社名変更した1996年が出版業界売上高のピークでした。当時は業界全体で2兆7000億円程の売り上げがありましたが、2021年は約1兆6700億円まで落ち込みました。その数字も電子コミック等が伸びることでようやく達成できているものです。学術出版専門の当社としては、その恩恵にあずかれません。その点では、この先80年90年生き残っていくのに大きな転換期にあると考えていて、そのための事業見直しなども進めています。
――創立75周年を迎え、「慶應義塾大学出版会創立75周年フェア『編集者が選ぶ今読んでほしい1冊』」というフェアが開催されました。その狙いと反響は?
※「慶應義塾大学出版会創立75周年フェア『編集者が選ぶ今読んでほしい1冊』」は、出版会に在籍する編集者にオススメの本を選んでもらい、選書コメントを手書きPOPにしています。全国の書店で、POPと共に書籍が販売されました。
当社は出版社としての歴史はまだ浅く、当社のことをよくご存じでない書店も全国に存在します。当社のファンづくりの一環として、本の総合プロデューサーであり、またプロの読み手でもある編集者にお勧めする本を選んでもらい、お勧めポイントをPOPにしました。
反響は良かったです。地方の書店を含め多くの書店様にフェアを開催していただきました。ファンづくりという点では成功したと思います。売り上げという形でもそれは現れています。当社の専門書を置いてくれる書店を増やし、地方の研究者の方々にも当社の本が手に届くようにする。その点でもある程度成果は得られたのではないでしょうか。
――出版業界全体としてデジタル化の推進が課題と考えられますが、出版会の取り組みは?
業界全体に電子書籍化の波が押し寄せています。当社では、2015年から図書館向け、2020年から個人向けの電子書籍販売を開始しました。電子書籍市場には早めに取り組めたと自負しています。電子版を出すと紙の読者を奪ってしまう懸念もありました。ただ、電子版でしか本を読まない人も相当数いるのだから、電子版で商品を提供しなくては読んでもらえない。そういう考えで電子出版を推進しています。また、SNSにも積極的に取り組んでいます。現時点で当社のTwitterフォロワー数は1万6千人を超えています。
2020年にはデジタルメディア事業部を設立し、フューチャーラーンの授業制作、三田評論のオンライン化や通信教育部のオンライン授業動画製作、学部のホームページ制作、イベントのオンライン配信などの新規事業に取り組んでいます。
――知のファストフード化が進展する中で、総合学術出版社としての出版会はどう知をデザインしていくのでしょうか?
近年の知のファストフード化には研究の上澄みだけをピックアップして知っていることを装いたいという傾向があると考えています。しかしながら、知というものはファストフードには成り得ない。当社が出している本というのは正反対で、スローフードのようなものです。特に対抗する考えはありません。
知そのものは元からファストフード化するものとは思えません。知識は検証の連続です。新たな時代で新たな側面から検証され続け、そうして体系化されていく。ファストフード化する知というのは、何か別物のように感じますね。
ただ、知の入口として入門書はこれからも出していかなければなりません。面白いと思ってもらえる入門書作りに取り組むことで、知への入り口を広げていきたいと思います。
――今の塾生へメッセージをお願いします。
大学生が本を読まないと言われてからかなり経ちます。塾生にとってもそれは例外ではないのでしょう。何かこの本に出会って人生が豊かになったとか、本そのものとの出会いが素晴らしいというようなことを言うつもりはありません。人生を豊かにするものは、本そのものではなく、本を開こうとする知的好奇心です。塾生の方々には、大いなる知的好奇心を持って書籍をはじめとする幅広い世界への扉を開いて行ってもらえればと思います。
(橋本成哉)