「お昼ご飯何食べた?」と聞かれた時に本当はパスタを食べたんだけど、「パスタ」と答えるのが嫌だから「何も食べてない」と答えたことがある。―当時既に30歳を超えていたお笑い芸人は、ウケを狙わず大真面目にこう語った。
今回紹介するのは、人気お笑いコンビ・オードリーの若林正恭が書いた、『社会人大学人見知り学部卒業見込』(完全版)というエッセイ集だ。今や世代を超えて愛されているテレビスターという印象の若林だが、冒頭で紹介したように実はかなり「めんどくさい」人物である。本著には、いわゆる「生き方上手」ではない彼が仕事やプライベートで経験したさまざまな苦労と、それに対する彼ならではの深みある考えを綴ったエッセイが多数収録されている。その中で特に印象深かった言葉を、エッセイと共に紹介したい。
ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ。
『ネガティブモンスター』より抜粋。正月休みに芸人仲間と箱根旅行に行った若林。しかし温泉に浸かっていると、「あの仕事が終わってない。温泉なんか入ってていいのか?そもそも、俺ってこの先芸人としてやっていけるのかな……?」とみるみる気持ちが急降下。「ネガティブモンスター」が若林の心の内で暴れ始めてしまった。普通の人なら「考え過ぎだよ」と笑うかもしれないが、生来の後ろ向き人間である若林にとって、「ポジティブになろうよ」といった類の言葉は効き目ゼロなのだ。
暗澹とした気分で部屋に戻ると、芸人仲間2人がお尻に割り箸を挟んで「ケツチャンバラ」に興じていた。一緒にケツチャンバラを楽しんだ若林は、いつの間にか陰鬱な気分が抜けていることに気づく。上手に腰を振って、自分のお尻に挟んだ割り箸を相手の割り箸に当てる。その行為への「没頭」が、彼の心に巣食うネガティブモンスターを打ち破ったのだ。
これまでずっと悩んでいたネガティブ思考への対抗策を見つけた若林は、「没頭ノート」というものを作った。読書や競馬など、夢中になれそうなものを片っ端から書き出してみる。これからは、起きるかもわからない恐怖を想像するのをやめて、目の前の楽しさや没頭を疎かにしないことに決めた。次なるネガティブモンスターとの戦いに備えて。
ちゃんと降参して、理想を追う道から降りよう。きっとそれが正しい。
『ネタ帳』より抜粋。とある番組の準備で若林は、自分のこれまでのネタ帳を読み返すことになった。過去の自分のネタなど振り返りたくなかったが、ノートをめくって目に止まったのはネタをやる前の心構えやライブ後の反省文だった。そこには、「ライブのアンケートの一切を気にしない」や、「俺はテレビに出るためにやっているんじゃない」など、尖った文章がずらりとならんでいる。そして読めば読むほど、当時の自分がテレビに出られないことにコンプレックスを感じていたのがありありと見て取れた。
ノートを読み終えた若林はため息をつく。本当はお客さんに評価されたいし、チヤホヤされたい。なぜその気持ちを正直に書けなかったのだろう。それはきっと、一本筋の通った「理想の自分」に固執して、他者の評価を欲する自分の弱さと向き合いたくなかったから。本当の自分から目を背け続け、その結果心の底から欲しいものがいつまでたっても手に入らなかった。自分の気持ちに正直になっていたら、結果は違ったかもしれない。ノートを閉じた彼は、当時の自分を「もったいなかったな」と振り返るのだ。
今度こそ今の自分と向き合おう。若林はついに、未完成で不格好な等身大の自分と付き合っていくことを決意した。「理想を追う道を降りる」と聞くと、少し後味悪く思われるかもしれない。しかし、このエッセイは次の文章に続いて締め括られた。「だって、ちょっと降りてみたら今日がくっきり見えてしょうがない」
終わりに
今回紹介した2編の他にも、沢山の面白くて読み応えのあるエッセイが本著には収録されている。ネタ作りの苦悩や10年ぶりの失恋、そして相方の春日への想いなど……その内容はぜひあなたの目で確かめてもらいたい。
人気お笑い芸人が仕事やプライベートで感じたことを綴った本著は、一見私たち学生とは無縁のエッセイ集のように思われる。しかし、自らが抱える「生きづらさ」を全面に押し出した若林のエッセイに大人の達観性はなく、むしろ私たち学生だからこそ共感できるような青い感性が随所に散りばめられている。もし自分が他人に到底理解されないようなことで苦しんでいても、若林が一緒に悩んでくれる。そう感じさせてくれるような一冊だ。
(廣野凜)