岩谷十郎常任理事は、理事と評議員の兼任禁止について、「私学法改正を見据え、規約の改正を含め慎重に準備を進めていく」方針を示した。慶大は依然、私大連策定のガバナンス・コードに準拠する姿勢だ。しかし同氏は、慶應義塾は以前から十全なガバナンス体制を構築していたとの見方も示した。その背景は、明治初期に育まれた「社中協力」の歴史に遡る。当時の財政難を乗り越え、慶大は戦後、「三権分立」に喩えられる体制を築き上げた。
大学ガバナンス改革の動向
私大の不祥事を受け、学校法人のガバナンス改革を検討する文部科学省の有識者会議は3月に、同省に提出する報告書を取りまとめた。評議員会を「最高議決・監督機関」とする昨年の議論よりトーンダウンしたものの、理事会に対する監督権限強化などは、おおむね踏襲した内容となった。報告書を踏まえた私立学校法の改正案が国会に提出される見通しだ。報告書には「理事と評議員の兼任禁止」も示され、兼任を認める現行の慶應義塾規約と矛盾することになる。
慶大の方針について、岩谷氏は、改正後の内容にも準ずるとの考えを示した。それに伴う慶應義塾規約の改正は、「慎重な準備」の下で進めていくという。
一方、岩谷氏は、従来の慶大のガバナンス体制について、「個人としても(大学運営上)困ったことはなかった」と話した。実際、評議員会の監督機能強化を求めた昨年の文科省のガバナンス改革案では、規約は「マイナーチェンジ」をする程度で十分だったという。
三権分立の法人運営
慶應義塾は、教育・研究機関としての学校組織と、事業・投資・監査などの経営活動を行う法人組織の二つの面を併せ持つ。岩谷氏は、こうした学校法人としての慶應義塾の仕組みを「三権分立」に喩えて説明した。
理事会と評議員会は、法人としての意思決定を行う。大学運営の執行を担う理事会(内閣)の提案を、評議員会(国会)での議論を通じて磨きをかけ、全会一致の形式で合意を図り、承認する。そして、監事(司法)が、決議された活動や法人の財務状況に対して、第三者的な立場から監査を行うという構図である。
「社中」が生んだガバナンス体制
慶應義塾は、設立当初から教育を目的とする機関としての組織化の意識が高く、ガバナンス体制の構築に向けた制度化を積極的に進めた。背景には、慶大ガバナンスの独自性である「社中」の歴史がある。
「社中」とは、一般に組織内の仲間のことを指すが、慶應義塾では塾生や塾員、教職員を含める。1877年(明治10年)の西南戦争によるインフレで、慶應義塾は財政難に陥った。政府からの援助を得られず、私学が卒業生及び世の篤志家に訴えて寄付を求めた最初の試みとなった「慶應義塾維持法案」が1880年に出された。翌年の「慶應義塾仮憲法」では、運営資金の寄付者を「慶應義塾維持社中」とし、また社頭(慶應義塾の最高の役職)や理事委員などの運営組織を定めた。1889年の「慶應義塾規約」で、評議員会が設置された。
卒業生を採用する理由
現行の規約では、教職員のうちから互選された者を除く評議員が理事と兼任できる。現在の理事会は、塾長、10名の常任理事に加え、理事26名で構成されている。理事は、学内の各学部長や高等学校長、学病院長、塾監局長のほか、学外の評議員が占める。評議員と兼任する学外の理事は、普段は企業の役員などとして働いている。また、常任理事は週に数回集まり、会議で大学運営の執行について議論する。
一方、評議員会は、教職員のうちから互選された者、卒業生で塾員により選挙された者、評議員によって選出された者などで構成される。その理由は、理事会・評議員会ともに、多様な観点を確保するためだ。教育や研究に携わる者の視点だけではなく、法人組織としてバランスある運営を念頭に置いているからだという。
「塾長」の役割
慶大は、理事長(法人・経営面の長)と学長(研究・教育面の長)を兼任する形で、塾長という職を設置している。一貫して、戦後1951年(昭和26年)に制定された現行の規約以降も、塾長は慶應義塾の代表という位置づけは変わらない。塾長が理事長と学長を兼ねることで、大学の経営と教育・研究間の意思決定がスムーズになると岩谷氏は考えている。
(小野寺陽大)