「人類の叡智を超えたところにサイエンスはある。
その中で、音楽という得意分野を生かしたかった」
小川理子さんは大阪から上京し、慶大理工学部
に入学。電気工学科へと進んだ。 元々は聴覚の
メカニズムに興味があったが、当時の慶大には、
まだ設備が整っていなかった。
そこで誘われたのが、生体リズムの研究である。幼い頃から音楽に囲まれて育った小川さんは
夢中になった。 「リズムとは、音楽に限らず生物にとっても根源的な要素。呼吸・心拍・臓器など、あらゆ
る体の営みはリズムを持っている。そのリズムが、月の満ち欠け、潮の満ち引きといった宇宙
のリズムと連動していることに気付いた」と話す。
卒業後は、松下電器産業(現パナソニック)の音響研究所に入社。「心地いい音」を求めて、
音響機器の開発に没頭した。 一方、音楽活動については、3歳から続けていたクラシックから転向して、
在学中にジャズバンドを結成した。 「クラシックを習っていた頃は、先生から与えられた曲が好きになれな
かったら練習できなかった。即興で演奏するジャズのほうが、自分には合っていたのかも」と笑顔で語る。
「レコードが自分の師匠だった」と振り返るように、独学でジャズを勉強したそうだ。
社会人になってからは、しばらくジャズから離れていたが、「また音楽をやらないか」と上司に誘われ、
社会人になってからは、しばらくジャズから離れていたが、「また音楽をやらないか」と上司に誘われ、
音楽活動を再開。7年のブランクを克服し、1997年には、初の海外公演を経験。その後も、パナソニック
の社員として働きながら、休日はジャズピアニストとして活動した。2003年には、念願の全米デビューも
果たした。
「まさか、またジャズができるとは思ってなかった。あのときの決断が人生の分岐点だった」
現在、小川さんは社会文化グループのマネージャーとして、社会貢献の場で活躍している。
「異動が命じられた当初は、見ること聞くことすべてが初めてで、驚きと発見の連続だった。しかし、
「まさか、またジャズができるとは思ってなかった。あのときの決断が人生の分岐点だった」
現在、小川さんは社会文化グループのマネージャーとして、社会貢献の場で活躍している。
「異動が命じられた当初は、見ること聞くことすべてが初めてで、驚きと発見の連続だった。しかし、
今となっては社会貢献という分野に大きなやりがいを感じる」と言う。 「自分のピアノが生かせるなら」
と去年の10月には、NGO「難民を助ける会」の創立30周年を記念して、チャリティーコンサートを実施した。
「日本市場はすでに飽和状態。世界で持続的な企業活動をするためには、今まで国内中心だった社
「日本市場はすでに飽和状態。世界で持続的な企業活動をするためには、今まで国内中心だった社
会貢献も、海外にシフトする必要がある」と語る。 そうした情勢も踏まえ、日本の大学生には「もっと外
向きの活動をして、多様な文化を受け入れることのできる『感性のアンテナ』を広げて欲しい」と話す。
安らぎをもたらすリズムを創作するために、音響研究員として、ジャズピアニストとして奮闘してきた
安らぎをもたらすリズムを創作するために、音響研究員として、ジャズピアニストとして奮闘してきた
小川さん。 そこで研ぎ澄まされた感性が、社会貢献という新たな舞台でも如何なく発揮されている。
(横山太一)
編集後記…
小川さんは慶応との関わりも深く、三田会などでも演奏活動を行ってきました。
また2005年には、「仕事と音楽活動を両立している」ことが評価され、理工学部
同窓会から表彰されました。
限られた時間のなかで、小川さんが常に意識していることは「いかに質を高め
るか」ということ。
好きなことをやっている以上、仕事も音楽活動も妥協したくないという強い姿
勢を、その言葉が物語っていると思いました。