4月29日(金)に開かれた「ウクライナ平和シンポジウム」。第2部は上智大と慶大の学生が、両校の学長とディスカッションをする形で進んだ。上智大からは法学部(Aさん)、総合グローバル学部(Bさん)、国際教養学部(Cさん)の3名の学生が、慶大からは総合政策学部(Dさん)、経済学部(Eさん)、政策・メディア研究科(Fさん)の3名の学生が登壇した。

上智大曄道(てるみち)学長は、「平和を維持、構築するために必要な新たな枠組みや取組、自分が足りないと思うことについてなんでもお話しください」と議論をスタートさせた。世界の状況が刻一刻と変わる中で、大学生の私たちには何ができるのか、何を考えなければならないのか。ぜひ、皆さんもディスカッションに参加する気持ちで考えてみてほしい。

(提供=慶應義塾広報室)

国連は無力?レゾンデートルを考える

まず、Aさんから「安全保障理事会(以下、安保理)の仕組みが変わる可能性はあるのか」という質問があった。現状、ロシアによって拒否権が行使されたことで、安保理は措置が取れなかった。Aさんはこの制度を変える必要があるのではないかと指摘した。

上智大法学部兼原教授は、「確かに措置の取れない安保理を無力だと批判することは難しくない。しかし、現行制度のレゾンデートル(存在意義)があることを考慮しなければならない」と答えた。

なぜ五大国だけが拒否権を持つのか、不平等ではないのか、投票手続のせいで安保理は働かないではないかと、安保理のシステムへの反対の声はいくらでも上がる。これには五大国が国際社会への強い影響力を持っていることが考慮されているという。例えば、アメリカに対して安保理が軍事的措置を取りたいとき、五大国すべてが同じように考えるかと言われれば答えに窮する。影響力の大きい五大国に拒否権を与えることで、国際社会の均衡を保っているのだ。

もし現在の制度を変えるのであれば、実行力のある措置を取ることのできる制度を新たに考えられるのだろうか。そこまで考えることができて初めて、制度の改革ができるため、安保理の仕組みを変えるのは難しいのだと兼原教授は語った。

Cさんは国際連合(以下、国連)の機能として予防外交を進めることが必要だと提言する。戦争が終わったあとに平和構築の段階に入るが、そもそも戦争が始まらないようにすることが重要なのではないかという。ロシアがウクライナに軍を移した時点で、国連が介入することができればここまでの惨劇は防げた。それゆえ、現時点では手順を踏まなければできないような予防外交を、常時展開するべきだと話した。

これに対し、慶大鶴岡教授が答えた。「国連が争いに介入するにはパワーが必要である。国連のパワーは正当性、レジティマシーによって担保される。この社会的な正当性を保障することが肝要となるため仲介は難しい」

Bさんはロシアを除いた形で国連が再構築される、つまりロシアが除名されることはありえるのかと問うた。上智大東教授は制度的には常任理事国の賛成が必要となるため難しいと説明した。そのうえで、ロシアを除名する場合には、新たな国連の制度設計をどう考えるが重要であると付け加えた。

Dさんは国際社会の新たなアクターとして、企業を提案する。国家や国連の役割だけでなく、企業というアクターが社会の細かなところまで行き渡る策を提供できる可能性を示唆した。争いが終わってからの平和構築というよりも、争いが起きている最中に何ができるかが重要になる。実行性に問題はあるかもしれないが、経済界の動きが国際社会への影響を持つような制度をもっと整備していくべきだという。

大学の役割とは?演習に基づく教育へ

Bさんは平和教育の徹底が必要だと指摘した。ロシアでは政治体制的には非民主的な独裁者が政治を行っている。平和教育により民衆を変えていればこうはならなかったのではないかと話した。

Eさんはロシアにいる知り合いから、①国際社会において普遍的な価値への理解が広まること、②日本にいる私たちの普遍的な価値への理解が広まること、の2点が必要だと示唆を得た。そのうえで、同じ惨劇を繰り返さないためにどうするのか、もし戦争が起こったときにどうするのかについて語った。平和は維持されなければならない、人権は侵されないというような普遍的な価値への理解を広めるために必要なものこそ、教育なのだ。

ロシア人は伝統的に価値というものを大事にする文化であるが、国内には戦争を支持してしまう人もいる。その動機はフラストレーションと恐怖心だと考えるという。ロシアの国力で目にもの見せてやろうという風潮もあれば、この戦争はウクライナとの戦争ではなくアメリカとの戦争なのだ、だからこそ負けてはいけないのだと怯える人もいる。

国際社会における普遍的な価値を理解していれば、少なくとも戦争に賛成するという態度は取りえない。武力の行使はしてはならないという最低限のルールを守る、平和は維持するという普遍的な価値を理解する、このための軸を教育において提供していることが必要なのではないかと指摘した。

何のためにウクライナの人々は戦っているのだろうか。日本にいる私たちは、民主主義と自由は守られるべきなのだという認識は持っているだろうか。もし私たちがウクライナのような立場に立たされたとき、普遍的な価値への理解がなければ合理的選択として降伏を選んでしまう可能性があるとも提言する。

例えば、ある国から攻められたときに財産を守るために抗戦するというのは納得がいく。では、その国から「財産は保障するから降伏してくれ」と言われたら。普遍的な価値への理解がなければ、降伏が合理的に思えてしまうかもしれない。だからこそ、教育段階において普遍的な価値への理解を深めることが必要なのだという。

Fさんは国際関係論を学ぶことのできる場が少ないことを指摘する。学ぶ場が少ないということは、議論の場を減らすことにもつながる。ウクライナ問題から目をそらすことがいけないのなら、平和を望んで何をするのか考えることからも目をそらしてはいけない。大学が議論できる場を提供し、教育機関としての役割を果たすべきだと語った。

また、歴史の検証が必要不可欠であることも強調した。2008年のジョージアとの戦争で米露の緊張関係はリセットされた。2014年のクリミア危機でも、国家主権の侵害や非人道的行為があったが、西側諸国はロシアとの関係悪化を望まないため穏便な対応となった。2008年に強い態度を取っていれば2014年が、2014年に強い態度を取っていれば2022年の惨状は変わっていたかもしれない。今回は対応を間違えないためにも歴史の検証が必要なのだ。

以上の学生の議論を聞いて、伊藤塾長は演習の必要性を述べる。例えば模擬国連では、さまざまな国の立場に立ってぶつかり合う。そのためには、それができるレベルまで勉強しなければならない。大学教員が演習のお手本を学生に示すことが重要になると語った。

さらに、メディアとの向き合い方を考えるためにも演習が必要だと指摘する。ロシアは報道が偏っていると言われるが、日本の情報も偏っていると言える。

今回難民問題がクローズアップされているが、これまでもミャンマーやシリアで同様の問題は存在していた。スイスからカシス連邦大統領兼外務大臣が訪日していたが、これもあまり報じられていない。ニュージーランドのアーダーン首相も岸田首相と並んで、ある分野ではスーパースターであるにもかかわらず、その訪日が報道されることは少なかった。一方、ドイツのショルツ首相の訪日はよくニュースになっていた。首相官邸のホームページにまで行けば、あまり報じられていない情報も得ることはできる。しかし、日本人の興味に合わせて偏った報道がされていることは疑いがない。

(提供=慶應義塾広報室)

Aさんは模擬国連に力を入れていた経験があるという。さまざまな国の視点で考えることができるが、そのためには情報の取捨選択が大切になる。間違った情報も正しい情報もたくさんあるため、情報を自分の糧とするにはメディアリテラシーを高める教育が必要だと話した。

Cさんは近現代史や戦後の歴史を学ぶ機会の少なさを指摘する。大学の授業で習ったことで初めて、ベトナム戦争やパレスチナ問題についての理解が抜けていたことを実感したという。ベトナム戦争と今回の侵攻は似た側面がある。戦後の歴史は繰り返されると心に留めて、大学生になっても歴史の理解は続けなければならないと語った。

Dさんは知識を得るためのツールとしての大学の存在意義を強調する。歴史認識は国家間で異なり、中立をどこに規定するのかなど問題は絶えない。日本は特に歴史において暗記が重要視される教育が行われている。古代から近代が問題として出題しやすいということや、授業に教員の歴史観の反映されることなど、1つのツールから得た知識だけでは不十分であると言える。複数のツールを用意するために、大学が存在すべきだという。

伊藤塾長はまだ和訳されていない本を翻訳するというプロジェクトを紹介した。イスラエルとパレスチナについてとても勉強になる本があるにもかかわらず、和訳されていないものがあるのだという。曄道学長は経験値を高める勉強が重要だと語った。そのうえで、大学の教育を再考する議論になったことへの感嘆を述べた。

Bさんは実体験としての歴史教育を提案した。Bさんの学校では、3月10日に戦時中の食事を再現した給食が出たことがあるのだという。現在においてはメタバースで戦争を体験するなど、わかりやすい形での教育が可能なのではないかと示唆した。

Fさんはクライシスシュミレーションが演習として有効だと話した。実際の危機、クライシスが発生したと仮定して、各国になったつもりで対策を考えるというものだ。これまでわからなかった国の立場、国際社会の複雑さを理解することができるという。政治を批判するのは簡単だが、いかに政治のやりくりが難しいかを知ることが、社会について考えるために役立つのではないかと強調した。

Eさんは、現状は知識を得ることを強制されている段階なのだと語った。演習は知識がないとできない。知識がないと意見を出すことすらもおぼつかない。知識がなければ、ロシアにも言い分があるのではないか、ウクライナにも悪いところがあるのではないかと間違った方向へ議論が進みかねない。勉強したくないなどではなく、知識を得ること、そしてそれを用いる演習が求められている時代なのだ。

さらに、国際社会を勉強することで人間的視点が抜け落ちるのではないかとも指摘する。過度にリアリスト的になってしまい、野性的な攻撃性のぶつかり合いである戦争の理解が難しくなってはいないか。この議論を通して、平和教育の大切さに気付かされたと述べた。

曄道学長は教育の役割についての議論が刺さっているとコメントした。どこに世界の理解の問題点があるかは共通しており、そのうえで社会に足りていない部分にまで思考が及んでいることに驚いたという。学ぶ機会や体験が複合的に足りていないことを自覚し、ある問題に関心を持っている人に大学がどのような環境を提供するか再考したいと締めくくった。

最後に、伊藤塾長はシンポジウムの開催を提案した上智大への感謝を述べるとともに、大学の責任について話した。「叡智が世界をつなぐ」を理念とする上智大と、「ペンは剣よりも強し」と掲げる慶大。これからの社会は明るいと前向きなことも言っているが、現実も見なければならない。大事な問いとして、社会を良くするために何を我慢すべきか考える必要がある。大学の責任として、平和を真正面から捉え、現実を議論するための知識と演習を提供しなければならないと語った。

上智×慶應 ウクライナ平和シンポジウム 第1部 4つの視点からウクライナ問題をどう見るか

 

(古田明日香)