【慶大入学】

 高校で一度は別々の道を歩みかけた二人だが、佐々木ヘッドコーチの鶴の一声で慶大への進学を決意。再び同じコートの上に立つことになった。


―高校を卒業して二人とも慶應に進学することになったわけですが、二人で一緒に同じ大学を目指してたりはしていたんですか?
小林「いや……?なかったよね?それ」

慶大不動のエース。美容専門��校を目指していた時期も。
慶大不動のエース。美容専門学校を目指していた時期も。

田上「そうだね、僕の方は高校の練習に佐々木先生が来て下さって。一応進学校だし、国体(※1)とかに行って、バスケの戦績とかがつけば慶應に行ける道が開けるんじゃないかみたいなお話をしていただいて。で、国体に選ばれて。そしたら大祐も国体に来てて、『俺も慶應考えてるよ~』って」
小林「僕の場合は高2の1月ぐらいに、佐々木先生に初めて声をかけていただいて。新人戦の九州大会かなんかで佐々木先生が来てて。ちょっと頑張ってみないか?ってことで。結構早かったんですよね、誘いっていうのが。でも個人的には普通に美容専門学校に行きたくて(笑)」
一同「えええ!」
小林「もうバスケットはいいかなって思ってたんですけど。最初は大濠でも試合に出られると思わなかったんで。一般生だし、周りにもうまい特待生いっぱいいましたし。でも一般で入って結果を出せて、次のステージでもそういう頑張りが続けばなぁって感じで」
―他の大学からも声がかかったのでは?
小林「そうですね。6大学からだったり、他からも声をいただいたんですけど。なんかその……大濠で一般で入ったんで、特待生っていうのを毛嫌う感じがすごいあって……なんかバカみたいな考えですけど。ただ単にポンと入るんじゃなくて、なんらかの試練があって、それをちゃんと乗り越えて大学に入りたいって思いはあったんですよね」
―慶應の練習はすごいキツいと聞きますが……。
小林「それは結構僕はビックリしましたね。高校はラクだったんで。高校は練習自体はそんなキツくないので。大学でこんなやるのかという感じでしたね、最初は(笑)」
田上「実際僕の高校なんか、普段ハーフコートしか使えなくて」
小林「逆のコートで女子がやってんですよ」
一同「(笑)」
田上「そんな感じの環境だったので、慶應の練習は死ぬほどきつかったですね」
―バスケをやめようと思ったことは?
田上「キツかったのは本当に何度もあったんですけど、やめるっていう感じにはならなかったですね。バスケ続けるのがあたりまえみたいな感じだったんで」
小林「高校の時が一番ありましたけどね。1年生の時に。上下関係っていうのがすごい激しくて。今はそうでもないらしいんですけど。先輩と話した記憶がないです。意味わかんない部則みたいのがあって……授業終わったら、まず走って集まらなくちゃいけない。先輩のメールは1分以内に返さなくちゃくちゃいけない」
一同「(笑)」
小林「僕が1年生のときには食堂でご飯を食べちゃいけないという……もう謎の(笑)。食堂でジュースを買っちゃいけないとか(笑)。あと椅子に座っちゃいけないっていうのと、練習中に水を飲んじゃいけないっていうのと。練習中に一滴も飲んでなかったです、一年のときには。脱水症状普通におこしましたからねぇ。そのときはやめようと思いました」

過酷な練習に耐え、40分間走り続けられるフィジカルを手に入れた。
過酷な練習に耐え、40分間走り続けられるフィジカルを手に入れた。
―その高校のときよりも、慶應の練習はキツかったと?
田上「俺は断然キツかった(笑)」
小林「高校のときみたいに、精神的なキツさではないんですけど。まぁ4年生がすごく優しかったので、それがよかったと思ったんですけど」
―大学に入ってから一番プレイヤーとして変わった部分はどこですか?
田上「僕は体力面で走れるようになりました。速攻とか、筋力とか瞬発力っていうのが通用しないんじゃないかと思っていたので」
小林「僕は小学校から“ドライブ”っていうのができなくて。めっちゃ動き遅かったよね?小学校のときとか」
田上「う~ん……そうだねぇ」
小林「中学までは外からしか打ってなかった。本当シュートしかなかったって感じなんですけど。高校に入ってすごいキツいトレーニングメニューやって。100段以上ある階段を、ケンケンで2段上がって1つ下がって、2段上がって1つ下がって……っていうメニューがあって。そこで初めて脚力っていうのがついて、自分でもおもしろいようにスピードが出せるようになって。バァーっと行ったら誰ももうついて来れないみたいな感じに。大学入ってからは、ディフェンスやるようになったかな、それまでと比べて(笑)」
―1、2年の頃はお互いのプレイを意識することとかあったんですか?スタメン争いとか。
田上「1年の頃から大祐はすごかったんで。まぁ、結構焦ってたなぁ」
小林「僕は逆にすごいのびのびとやっていて。今よりうまいんじゃないかというぐらい。やっぱり公輔さん(竹内公輔。バスケットボール日本代表。アイシンシーホース所属。田上、小林が1年生のとき4年生)たちのおかげっていうのはあると思うんですけど、自信になりましたね」
―1年生のときのリーグ(関東大学バスケットボールリーグ戦)の日大戦ですごかったですよね。
小林「なんかもう打ったシュートが全部入って。体流れても入るんですよね全部。ああ、これなんか実はすごいんじゃないかって自分で思うぐらい入って」
一同「(笑)」
田上「実際俺らが4年でさ、もし入ってきた1年があんな風だったら信じられないよね」
二人「(笑)」
小林「まぁ、次の年に落ちるわけなんですけどね」


※1、国体……国民体育会大会バスケットボール競技のこと。夏のインターハイ、冬のウィンターカップとならぶ、高校バスケの主要な3大会の一つ。インターハイ、ウィンターカップとは違い都道府県選抜チーム対抗形式で、田上と小林は2005年度のこの大会で福岡県選抜として同じチームでプレイした。

【”屈辱”をバネに―2部リーグ転落から再び1部昇格、インカレ優勝へ】

 二人が2年生の時、関東リーグ2部への転落という悲劇が訪れる。しかし、そんなどん底状態からの、翌年の1部昇格。そしてそのままインカレ優勝へ。当時のチーム状況についてきいてみた。


―2年のときに2部に落ちて、当時のチーム状況はどうだったんですか?
田上「みんな怪我したよね」
小林「う~ん……苦しかったですねぇ。思い出したくもないですね……あのときは」
田上「4年が頑張るチームなんで、加藤さん(加藤将裕。田上たちが2年生時のキャプテン)が怪我して、ガードも実績があるとはいえ大学で経験もない二ノ宮にかわって」
小林「そうだったねぇ」
田上「チームをなんとかしようと4年生は頑張ってるんですけどうまくいかないし、僕自身はそれにこたえられるだけの動きができていないしで。やっぱあのときに、4年生がそれなりの姿勢をもってやってたし、僕らは覚悟みたいな部分で自分たちが足りていないなっていうのをすごく感じたし。それが次の年の結果に結びついたんだと思うんですけど」
小林「(2部転落時の)入れ替え戦の試合がもう悔しくて悔しくて」

どん底も頂点も味わってきた。
どん底も頂点も味わってきた。
田上「ああ、ね」
小林「1戦目勝ったんだよね?」
田上「そう」
小林「で2戦目負けて3戦目……最後ちょっと離されて、そしたら相手が茶化したようなプレイをし出して。まぁあのときは……」
田上「屈辱だったねぇ」
小林「屈辱だったね」
―そこから這い上がれた要因はなんだったのでしょうか?
田上「まぁ自分の力が足りないって思ったので、次の年が本当に勝負の年だなと思って、気合いが違ったというか。ずっと苦手意識があった体力強化とかに取り組めて次のシーズンを迎えられたので、気合いもそうですし、それについてこられる体力だとか技術とかをうまくつけられて」
小林「僕もやっぱり入れ替え戦の屈辱っていうのはずっと1年間忘れられなくて、絶対次の入れ替え戦ではケチョンケチョンにしてどっちが強いのか証明してやろうみたいに思ってました。殺意にも近いような(笑)。2年のときから体づくりとか始めて。3年生のときさ、大東(大東文化大)に負けてたよね?春の時点でね」
田上「そうね」
小林「春は弱いんですけど、もともと慶應は。普通に大東に負けたりとか、国学院に負けたりとかしてたよね」
田上「筑波にも負けたしね」
―その一年でチーム全体がすごく変わったという印象がありましたよね。岩下さんなんか特にインカレの時にはすごく成長したというか。
小林「彼らもやっぱり入れ替え戦での屈辱っていうのを感じてたと思うんで。みんな泣いてましたしね。特に当時、僕らが2年で、3年生だった試合に出てない方たちも、負けた瞬間に『なんでこんなチームに負けなきゃいけないんだ』ってずーっと泣いてて。そういうのも結構心に残ってますもんね」
田上「うんうん」
―そこからのインカレ優勝ですもんね。
小林「そうですね」
田上「ほんとにねぇ」
―最上級生になって田上さんが初めてキャプテンって聞かされたときはどうでしたか?
小林「どっちもキャプテンに立候補して結果的に田上になったんですけど。結局チームバランスだったり、いろんな面をみて。役割とか立場は違えど、結局は勝つために何をするかってことですからね。そこは自然と集束していったかなぁ」
田上「シーズン始まる前に4年生ですごく話し合いをして、首脳陣たちとも話し合いをしてシーズンインを迎えるのがチームの恒例なんですけど。4年生で試合に出るのは大祐と僕の二人だったので、二人が代表してチームを引っ張るっていう気持ちは強くあったんですけど、まぁ4年生全部でチームを引っ張るっていうのがうちのチームのスタンスなんで。そういう話し合いで、みんなで気持ちを固めましたね」

>>下へ続く

(2010年3月20日更新)


文 井熊里木
写真 阪本梨紗子
取材 阪本梨紗子、金武幸宏、井熊里木