「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」。およそ2500年前の中国、春秋時代の末期に書かれた論語。永きに渡って中国だけではなく、日本でも読み継がれてきたその魅力・読み継がれる理由は何だろうか。2004年まで慶應高校で国語・漢文・中国語などを教え教壇に立っていた佐久協氏にお話を伺った。佐久氏はベストセラーとなった『高校生が感動した「論語」』の著者。
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論語は孔子や弟子の言行録であり、孔子の死後短くとも半世紀以上をかけて現行の形になったと考えられている。形式としては、短い章句が特別な項目立てもなく羅列されている。つまり、基本的にはバラバラに並んでいるもの。いつ、どんな状況で語られたのかも詳細は知られていない。それゆえ、それぞれの翻訳もしっかりと定まっているわけではない。だからこそ、社会状況、それを解釈する人物などによって大きくその捉え方が変わってくる。
読み進める際、「論語読みの論語知らず」にならないためには、読んでみて心に響いたものを自分の頭で考えてみることだ。解説書などの訳を鵜呑みにするのではなく、自らの知識や経験に引き寄せ自分自身の問題として解釈していくことで「活きた論語」になる。そこで、時間が経って再度読み返してみることで自分の解釈の変化から価値観の変化を把握することができる。
近年、日本でも論語がビジネスや教育などの各方面で注目を集めている理由は、論語が孔子自身の失敗体験を寄せ集めた教訓だからだ。孔子は政治家であり、魯の国の大司冠(司法大臣)にまでなったが、政治改革に失敗し、晩年は弟子の教育により、理想の政治の実現を後世にゆだねようとした人物。孔子は政治家としての挫折によって教育者となったが、政治に背を向けたわけではなく、自分と同じ政治的志をもつ分身を造ることを教育の大目標としていた。政治家としての挫折体験が偉大な教育家の素地となっている点は、ソクラテスと軌を一にしている。
また、道徳的社会を造り出すことが孔子の目的の一つだった。教育によって道徳的な人材を育て社会に送り出し、彼等の感化力によって社会全体を道徳的なものにするのがその方法だった。つまり孔子にとって、道徳は目的であると同時に手段だった。道徳的規範は法律を補助する二次的な存在ではなく、人間社会を支える根幹であり、法律や軍事力に勝る現実的・物理的パワーをもつものとみなされていたのだ。
孔子にとって人生の価値は「結果」にあるのではなく「過程」にあった。人生の過程を重視した孔子は、「目的」を「手段」に優先させなかった。目的のためには手段を選ばないという生き方に孔子は何ら価値を認めていない。孔子のおよそ80年後輩にあたるソクラテスは、孔子と同様に「人生の目的はただ生きることではなく、善く生きることである」と唱えている。孔子もソクラテスも結果論者からみれば挫折者であるが、2人の言葉が2500年もの永きにわたって伝えられている事実は両者の主張の妥当性を証明しているといえるだろう。
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先行き不透明な時代だからこそ、人はシンプルな「答え」を求めようとする。だが、論語には問題に対するいわゆる「正解」が載っているわけではない。あくまで孔子の失敗からの教えであり、それをどう受け止めるかは我々次第だからだ。
従来通用していたものが通用しなくなった時こそ、自分の頭で考え創造していく力が不可欠になるだろう。その過程で何か壁に当たったときなどに論語を読んでみると、考える「ヒント」が得られるのかも知れない。
(御園生成一)
佐久協
1944年、東京都生まれ。67年、慶應義塾大学文学部中国文学科卒。同大学院で中国文学・国文学を専攻。大学院修了後、慶應義塾高等学校で教職に就き、国語・漢文・中国語などを教える。同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれてきた。2004年に退職。著書に『高校生が感動した「論語」』(祥伝社新書、2006)などがある。