ゲストハウス「架け橋」は宮城県気仙沼市にある。NPO法人「Cloud JAPAN」代表理事の田中惇敏さんが、2014年に開いた。昼は親子や地域の人が集う、絵本カフェ。夜は地元の人と気仙沼を訪れた人が交流する場となる。ここでは現在5人が大学生スタッフとして働く。田中惇敏さんと大学生スタッフの藤岡愛理さんと田中慧さんに話を聞いた。

ゲストハウスを始めたきっかけ

田中惇敏さんは東日本大震災の1 か月後、2011年4月に九州大学に入学した。当時、震災は社会全体の大きな動きだった。大学の授業でも、ニュースでも震災についての話が出てくる。田中惇敏さんも、当たり前のように震災に関心を持った。そして、ボランティアとして東北の被災地に向かうようになる。当初は東京を拠点に、日帰りで瓦礫の撤去作業などをしていた。しかし、福岡から東北の被災地に行くためには多額の交通費がかかる。そこで、長期のボランティア活動を探し始めた。産業や子どもと遊ぶお手伝いなど信頼関係が必要とされる活動を見つけ、取り組むようになった。

被災地には学生ボランティアが安く宿泊できる場所がなかった。田中惇敏さんも地元団体の事務所に泊りながら、活動していた。その流れで、空き家を貸してもらい、ゲストハウスをつくることに。「自分が休学すれば、その後の社会に与える影響はかなり大きいはず」。2014年に、大学の休学を決断した。

ゲストハウス外観

大学生スタッフの声

藤岡さんは昨年4月から、田中慧さんは昨年10月から「架け橋」で働いている。

藤岡さんは働き始める以前から月に一度、お客さんとして「架け橋」に通っていた。大学を休学するかどうか悩んでいた時、背中を押してくれたのが「架け橋」の人たちだった。「信頼できる人のそばにいたいと思い、スタッフになった。気仙沼に来てから自分を見つめなおすことができた」と話す。

田中慧さんも、「架け橋」のリピーターの一人だった。昨年、コロナウイルスの影響で予定していた世界一周の旅に出られなくなってしまった。自分を見失った時、相談に乗ってもらったのが田中惇敏さん。「架け橋」について、「自分を吐き出せる、居心地のいい場所。もっと多くの人に来てもらいたい」と語る。

東日本大震災について

藤岡さんは福島県南相馬市の出身だ。今、被災地では新しい高速道路や施設が急ピッチで建てられている。しかし、藤岡さんは震災から10年が経ち復旧は進んだが、復興はしていないと言う。「被災した全ての人が心の中にある、ももやもやしたものを言葉にできていないままだ。それも、被災した人それぞれ抱えているものは違う」と話す。

今後のNPOの目標

被災地は震災後、熱い思いを持った優秀な人材が各地から多く集まっている。また、「被災地発」と呼ばれる社会課題を解決する手段が少しずつ全国に広がりつつある。田中惇敏さんは、あと10年あれば東北の被災地が地方のリーダ―になれると考えている。それは、いろいろな人たちから応援を受け、被災地で活動しているNPOの使命だと言う。「今後は全国の人たちに恩返しができるよう、みんなで社会課題の解決方法をつくっていきたい」と語る。

ゲストハウス「架け橋」では、感染対策をとりながら、卒業旅行に来てもらえるようツアーを企画しているところだ。ゲストハウスの建物が小さいため、友人同士で「架け橋」を貸切ることができるという。藤岡愛理さんは、「今年卒業する人たちに気仙沼でのツアーを届けたいと思っています。ぜひ皆さん、遊びに来てください」と話す。

 

(篠原佳鈴)