1990年、アメリカ出身のLyle Hiroshi Saxonさんは、8ミリビデオカメラで東京の様子を撮影し始めた。撮影していたのは、観光地でもない、人々が往来するごく普通の場所。カメラを回す姿について「当時は笑いものだった」と振り返る。
当時撮影した膨大な量の動画は、現在YouTubeにアップロードしている。なぜ何気ない日常の東京にカメラを向け続けたのか。そして当時の東京に何を見たか。
(聞き手=山本啓太)
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―どのような経緯で来日したのですか。
来日したのは1984年。理由は、日本をもっと知りたかったから。住んでいたサンフランシスコに日本の映画を流す映画館があってよく観ていた。ちょうど24歳で、一番冒険できる時期だったので。
―日本に移住するときの周りの反応は。
日本に行くときに周りに言わなかったんですよ、家族を含めて。納得してもらえないと思ったから。日本に着いてからお兄さんに絵葉書を送った。「日本に引っ越しました」って(笑)。今でも投函した品川駅前のポストを通るたびに思い出しますよ。
―日本語がわからない状態で移住することに恐怖はなかったのですか。
今までもアメリカ国内だけれども、ぱっと移り住んだことはあったし……。でも来日して3日後に、東京YMCAホテルの窓から道行く人を見ていたとき、この人たちと話すことはできないと思い泣き出してしまったんですよ。その後「前向きに行こう」と自分自身を励ましました。
―なぜ動画を撮り始めたのですか。
ビデオカメラを買ったのは1990年3月。当時はバブルで景気が良かったから、バブルのときに売り出されたカメラを買って、バブルの様子を写した(笑)。元々カメラが好きだった。カメラマンになりたかったんです。サンフランシスコにいたとき、週末にフィルムカメラで1日100枚ぐらい撮影していたんです。そしてフィルムの残り枚数が少なくなってくるといつも「撮り放題だったらいいな」と思っていたんです。ビデオカメラは1秒間に30枚、加えてステレオ録音もできて、なんてすばらしい記録機材だろうと思った。これで全部吸い込めるという気分で喜んで買った。撮り方は”Moving slide show”、静止画を何枚も連続して撮っていた。スチールカメラのときの撮り方から抜け出せていなかった。
1992年ごろの田町駅周辺。途中、三田キャンパスが映る。
―カメラを購入した90年当時ビデオカメラは高価でしたか。
高かった。カメラは19万円くらいした。そのほか機材やテープを合わせて100万円くらいしたかな。
―撮った映像はどのようにして使う予定だったのですか。
最初は、ミュージックビデオを作る話があった。そのコラボレーションはなくなってしまったのだけれど。その後も撮り続けて、もしかしたら編集したらテレビ局に売れるかもしれないとは思った。当時、現在の六本木ヒルズの計画が動いているときで、古いものを壊していたので、東京を記録すべきだと思った。結局テレビ局には売れず、しばらく使い道に困っていた。でも時代が進んで動画共有サイトができたことで公開し始めた。
―映像は日常的な街の様子を映し出していますね。
会社に通勤するときなど、ほとんど毎日カメラを持って撮影していました。当時、ビデオカメラを持ってる人の多くが東京モーターショーや運動会のようなものを写したけど、毎日の様子を写していないんだよね。なんで歩きながら街を写していると、すれ違う人に「なんでこの辺を撮っているんだろう」と言われる。普通のところこそ記録すべきだと思う。観光地はみんな写真を撮るけれど面白くない。有名な建物は何百年たっても壊されない。普通の街の様子はどんどん変わるし面白い。
―撮影を始めた90年と撮影をいったんやめた93年では東京の雰囲気はどのように変わりましたか。
90年はみんなルンルン気分……会社のお金でみんな呑んでいたんだろう(笑)。91年は少し落ち着いたけれどまた景気は持ち直すと考えられていました。92年、93年になると街の様子はだいぶ落ち着いたね。六本木の様子を写した動画あるけれどよく表れている。
バブル全盛期の六本木の様子
―印象に残っている街は。
下町の雰囲気を残した南千住。あとは昔の東京中央郵便局や丸ビルがあった丸の内。丸ビルはまさか壊すとは思わなかったね。昔の丸ビルは音がよかった。あの建物は石畳で自分の足音が反響して面白かった。トイレもすべてに番号があってドアも木造だった。
1991年 建て替えの丸ビルの様子
―30年前と比べて東京で一番変化したのは。
建物も変わったけれど……。一番変わったのはスマートフォンや携帯電話がなかったから、喫茶店とかで集まった時に目の前の人を大切にしていたね。その空間が誰からも邪魔されない特別な空間だった。今だと遠くの人と連絡できるから、会話を無視されることがある。それは寂しいですよ。実際に一緒にいる人より遠くの人の方を大切にする、それは嫌いですね。街が変わったというより、時代のコミュニケーションが変わったということですが。
―街の様子は建物だけではなく人々の変化も大きいということですか。
渋谷を歩いているときに何か雰囲気が違うと感じたんです。そして当たり前のことに気づいた。そこにいるのは別の人間が歩いている。時代が変わったのではなく、別の人間。クローンではないんだから、当然街にも違う考えが入り込む。私の知っていた渋谷はもうないし、もうその頃の渋谷には戻れない。それは悪いことではないけれどショックだった。
―他の都市に比べて東京の良い所はどこですか。
東京は面白い。どんどん変化していくので居続けても飽きない。どこへも行っていなくてもある意味で旅をしている。
―変化する東京に対してどう感じていますか。
全部新しくすると面白くない。古い建物も少しでも残せばコントラストがあって面白い。例えば、東京中央郵便局や東横線の渋谷駅のあった場所には、少し昔の建物の面影を残している。それはとても良いデザインだと思う。
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