今から遡ること110年。1899年、当時慶應義塾大学の英文学教員であったイギリス人エドワード・B・クラーク氏が、ケンブリッジ大学留学から戻った田中銀之助氏と共に、慶應の学生達に「ラグビー」というスポーツを指導した。程なくして「ラグビー」は日本全土に広がりを見せる――。
「日本ラグビーのルーツ校」としての矜持を胸に、110年に渡って漸進を続けてきた「慶應義塾體育會蹴球部」、別名タイガー軍団。その間、幾多の黒黄(こっこう)戦士たちが4年間、ラグビーという競技を通じて自らの喜怒哀楽を存分に表現してきた。連綿と連なる慶應ラグビーの歴史を肌身に感じながらの4年間。そう、たったの4年間。だが、そのたったの4年間でも、人間は言葉の本当の意味で成長するのだ。
4年間、體育會蹴球部という厳しい環境に身を置いてきたからこそ紡ぎだされる言葉が絶対にある――。そう信じ、今回われわれは、浜本将人・慶應義塾體育會蹴球部第110代副将(以下浜本)にインタビューを敢行した。現在、彼は昨年末に痛めた鼠蹊(そけい)部ヘルニアの治療に専念し、戦線離脱を余儀なくされている。ただ、闘志を内に秘めた男・浜本に「黙って見ていろ」は酷な話だ。「今は80%の回復具合。11月の早慶戦(2009/11/23)復帰しか考えていない」と語る彼の言葉一つひとつに、今はじっくり耳を傾けたい(インタビューは2009年10月3日に行われた)。


求められているのは「泥臭く、愚直にタックルに行く姿勢」

――昨季、浜本さんは関東大学対抗戦初戦の日本体育大学戦(2008/9/6、●19-24)でチームの公式戦トライ第一号を記録しました。滑り出し順調に見えた昨季、実際はどうだったのでしょうか?

浜本 いや、そうでもないですね。夏合宿の練習試合で関東学院大Aに勝って(2008/8/24、○28-10)、その時ぐらいまでは状態は良かったんですけど、日吉に戻ってからチームとしても個人としてもいまひとつ調子が上がってこなかった。シーズン通じても「不完全燃焼」というか、そこまで良くはなかったな、と。


――ただ、昨季の浜本さんは、関東大学ジュニア選手権リーグ戦での活躍が目立ったように感じます。

浜本 ジュニアはグレードが1つ下なので、自分としてはそこでは抜きん出た活躍をしたいと考えていました。〈魅せなきゃいけない〉という、良い意味での緊張感を持って試合に臨めていたと思います。


――昨季の関東大学ジュニア選手権のハイライトとも言える、決勝トーナメント・帝京大学B戦(2008/11/30、○21-18)。今振り返ってみていかがですか?

はまもと・まさと/1988年神奈川県生まれ。4歳で初めて楕円球に触れる。田園ラグビースクール(4歳から11歳まで)→慶應中等部→慶應高→慶應大。ポジションは主にCTB。今季、慶應義塾體育會蹴球部第110代副将に就任した。低く鋭い、慶應の伝統「魂のタックル」の体現者【Photo:安藤貴文】

浜本 あの試合は正直かなり厳しい試合だったんですね。(後半30分あたりからの)5分間、帝京に攻め込まれていたときは、精神的に崩れかかっていたというか…。自分のミス絡みで攻め込まれていたので、試合中にも関わらず凹んでました(苦笑)。ただ、そこからチーム全体が前に出て最終的に(後半ロスタイムのトライで)逆転できたというのは、チームとしても個人としても、ひとつ壁を乗り越えられたかな、と。僕の中では大切な試合ですね。


――ジュニアのカテゴリーでの試合に臨む時と、関東大学対抗戦や全国大学選手権といったひとつ上のカテゴリーの試合に臨む時の、気持ちの切り替えの部分はどのようになさっていたのでしょうか?

浜本 どのカテゴリーの試合でもベストを尽くす。自分が求められているプレーをするだけです。


――その「求められているプレー」というのは?

浜本 強さが持ち味の増田(慶介、環3)や経験値の高い仲宗根(健太、総2)といった凄い選手たちが同じセンター(CTB)にいる中で、自分に求められているのは「ディフェンス面」ですね。具体的に言うと、流れを変えるタックルであり、泥臭く、愚直にタックルに行く姿勢です。


――浜本さんを見ていていつも思うのは、例えば試合前のジョグひとつとっても集中しているのが表情に如実に表れていて、〈こういう先輩がいると後輩も気を抜けないだろうなぁ〉って(笑)。

浜本 ただ、昨季は悪く言えば切羽詰まっていたというか、少しピリピリし過ぎていたかもしれないですね。


――それは、1本目での試合出場を渇望していたから?

浜本 もちろんそうです。昨季は増田、仲宗根に加えて竹本(竜太郎、環3)という独特の感性、野生の勘を持った選手がCTBにいるという状況で、自分はどこ(※ストロングポイントの意)で勝負しなければならないかってことを常に考えていて、まさに24時間スイッチが入りっぱなしの状態でした。周りからしたら近寄り難い雰囲気を出しちゃってたでしょうね。


――先日、林雅人監督にお話を伺った限りでは、竹本さんは今季スタンドオフ(SO)での試合出場が濃厚なので、増田さん、仲宗根さんあたりが当面のライバルになりますね。

浜本 ライバル…。うーん、ライバルとはまたちょっと違うんですよね。後輩ですけど、むしろ尊敬しているというか(笑)。


――その感覚、よく分かります(笑)。


「CTBが自分のプレースタイルにフィットした」

――さて、昨季林監督に浜本さんについてお話を伺うたびに「(浜本は)慶應一のハードタックラー」という風に仰っていました。ですので、ここらで「タックラー浜本」誕生秘話を本人の口から伺っておこうかと。

昨季の関東大学ジュニア選手権・明治大学B戦では、慶應の観客席から「浜本のタックルはピカイチ」という声が飛ぶシーンもあった(右から3番目が浜本)【Photo:安藤貴文】

浜本 自分の中でタックルが持ち味だなと思い始めたのは、実は大学3年生の時なんですよ。つまり昨年ですね。


――それは意外です。

浜本 もちろん、監督にそう言ってもらえるのは光栄なことですけど。 


――ではもう少し遡って、浜本さんご自身のラグビー歴、ポジション遍歴を教えていただけますか。

浜本 慶應でラグビーをやっていた父親(浜本剛志氏)の影響で、幼稚園の年中頃から楕円球には触れていました。田園ラグビースクール(神奈川県)時代はスタンドオフ(SO)、中学生(慶應義塾中等部)の途中でスクラムハーフ(SH)にチェンジして、慶應義塾高等学校時代は3年間ずっとスクラムハーフ(SH)でした。大学でもそのままSHとしてやっていこうと考えていたんですけど、大学1年生の時、SHとして試合に出場することができない時期が続いて…。ただ、その間も腐らずにずっとウェイトトレーニングに励んでいたら、骨みたいな体にも、徐々に筋肉がついてきて(笑)。〈(SHじゃなくて)他のポジションで試合に出られるかもしれない〉と思い始めていました。そうしたら、2年生になる直前の「オール慶明戦」(2007/3/11、○17-0)で、松永敏宏監督(当時)が僕をSOで使って下さって。そういうこともあって〈SHだけじゃなくても、後ろのポジションでもやれるんじゃないか〉という感覚を掴んだのがこの頃ですね。


――そして、図らずもCTBでプレーする機会はすぐに訪れる、と。

浜本 そうなんです。2年生の春季にやった部内マッチで、中浜(聡志、’07年度卒、現東京ガス所属)副将が林雅人監督に「浜本をCTBで使ってみてはどうか」と進言してくれたみたいで。そこからですね、CTBになったのは。


――幼い頃からSO、SH、CTBと様々なポジションを経験された浜本さんですが、その中で最も面白いと感じたポジションは何処ですか?

浜本 間違いなくCTBですね。(相手との)コンタクトの回数が他のポジションとは全然違いますから。


――SO、SHは司令塔であり、文字通りチームを司る重要なポジションであって、そこはそこで十分魅力的なポジションだと思うのですが。

浜本 SOやSHは主に「判断力」が必要とされるポジションですけど、例えば昨季の川本(祐輝、’08年度卒、現NTTコミュニケーションズシャイニングアークス所属)さんとは違って、自分はそれほど判断力の良い選手ではなかったんです(笑)。CTBの方が、自分のプレースタイルにフィットしたって感じですね。


チームとして「まとまって勝つ」ことの難しさ

――ここで、浜本さんが慶應義塾大学に入学してからの4年間をざっと振り返っていただこうと思います。浜本さんが慶應義塾大学に入学し、慶應義塾體育會蹴球部に入部した2006年。松永監督ラストイヤー、青貫浩之主将(’06年度卒)のいわゆる「青貫組」について。

絶対的なエースWTB山田章仁を擁し、全国大学選手権決勝に登りつめた'07年度のチーム。「まとまりは正直それほどなかったが、個の力が強烈でした」(浜本)【Photo:湯浅寛】

浜本 今振り返ってみると、4年生を中心に良くまとまったチームだったなと思います。当時の早稲田には、SH矢富(勇毅、現ヤマハ発動機ジュビロ所属)、SO曽我部(佳憲、現サントリーサンゴリアス所属)、CTB今村(雄太、現神戸製鋼コベルコスティーラーズ所属)、FB五朗丸(歩、現ヤマハ発動機ジュビロ所属)といった大学のスタープレーヤーが揃っていた。その中で、よくあれだけやっていたなという印象です。それは、やはり青貫(浩之、’06年度卒)主将の求心力あってのものでしょうね。


――浜本さんが2年生になった2007年。林監督就任1年目、金井健雄主将(’07年度卒、現サントリーサンゴリアス所属)率いる「金井組」は、8年ぶりに正月越え(全国大学選手権ベスト4進出)を果たし、実際に決勝の舞台にも立ちました(※2008/1/12、6-26で早稲田大学に敗れ準優勝)。

浜本 例えば、昨季の花崎(亮、’08年度卒、現慶應義塾體育會蹴球部BKs・SH担当コーチ)主将の代と比較したときに、昨季は本当に良くまとまっていたけれど、勝てなかった。2007年はチームとしてのまとまりは正直それほどなかったけれど、全国大学選手権決勝の舞台まで登りつめた。山田(章仁、’07年度卒、現ホンダヒート所属)さんや小田(龍司、’07年度卒、現サントリーサンゴリアス所属)さん、中浜さんらを筆頭に、「個」で勝った印象が強い代ですね。ただ、自分が最上級生になって改めて感じるのは、まとまっていて、かつ勝てるチームを作る難しさですね。


――では、浜本さんから見て、2008年の「花崎組」の方がチームとしてはまとまっていた、と。

浜本 そうですね。先輩方が皆同じ方向を向いてやっていたので、僕らはその背中を追いかけるだけで良かった。「チームのことは考えなくていいから」と先輩方にも言われていたので、自分のことに集中できましたし。


――花崎主将というのはやはり「小さな巨人」だったんですか?

'08年度主将の花崎亮(右端)。今回の浜本だけに限らず、当時の蹴球部部員誰もが彼を慕っていた。チームのまとまりも素晴らしかったのだが…【Photo:有賀真吾】

浜本 「カリスマ」という一言で片付けたくはないんですけど、人を惹きつける魅力に溢れた方でしたね。

――そういった意味でも、昨季の全国大学選手権1回戦・帝京大学戦(2008/12/20、●17-23)は是が非でも勝って先に進みたかったですよね。「先輩方の思いを背負えるのは、僕たち後輩しかいない」という試合後の浜本さんの言葉に込められた意味を知って、今一層胸に沁みました…。

浜本 僕も4歳からラグビーをやってきましたけど、あれほどまとまったチームってのはこれまでなかった。〈何故、このチームで日本一が獲れなかったのか〉という無念で一杯で…。その思いがあの言葉に繋がったんだと思います。ただ、実際あの後〈これ以上何が必要なんだ?〉と独り考え込んでしまって…。一月(ひとつき)くらいは空っぽというか、燃え尽きた感覚に陥りましたよ…(白熱のインタビューは後編に続く!!)。


(2009年10月10日更新)
取材 慶應塾生新聞会・大学ラグビー取材班