元はお茶漬け屋さん
初代店主の渡辺教義(のりよし)さんと妻の静子さんは、もともと赤坂でお茶漬け専門店「折りづる」を営んでいました。その後、三田で大衆割烹「つるの屋」をオープン。開店当時は塾生や塾員が集まる場になるとは思っていなかったといいます。
1970年頃から店に通っていた樽井正義名誉教授(倫理学)は「つるの屋が愛されてきたのは、マスターとママさんの人柄ゆえだ」と話します。職人肌で仕事の質にこだわる教義さんと、学生をかわいがる静子さん。二人三脚でお店を作ってきました。
「つるの屋」の開業年をめぐっては、見解が分かれています。今年3月、二代目店主の故・渡辺孝さんは慶應塾生新聞の取材に応じ、「1969年に開店した」と話しています。しかしその後の取材で、1968年開店の説も浮上しました。2018年11月に、つるの屋の開業50周年パーティーが開かれており「逆算すれば、1968年開業になる」(関係者)との声も根強くあります。
2代50年 一家で紡いだ歴史
教義さんの次男で2代目店主の故・渡辺孝(たかし)さんは、大学生のときに「つるの屋」で手伝いをしていました。「当時の慶大生が教員になって、学生をつるの屋に連れてきてくれる」と語るように、50年の時を経て多くの慶大関係者が集う場になりました。
塾生に愛されてきた名物料理
おいしい料理の数々が、塾生のお腹も心も満たしてくれました。一番の名物は「ぶた黄金揚げ」(500円)。ランチの定食でも提供されていました。宴会時の定番といえば具沢山の「よせ鍋」(1300円)。「ニラもや」「イカ納豆」などの裏メニューもありました。
樽井名誉教授は「どの食材も、マスターのこだわりが詰まった良いものを使っていた」と話します。特に思い出深いのは、魚河岸で買い付けたカレイで作る「カレイの唐揚げ」。メニューの多くは開店当初に働いていた板前さんが残したもので、孝さんにも受け継がれました。
突然の移転
二年ほど前から、旧店舗ビルの老朽化に伴い、移転の話が出始めました。多くの塾員が移転先探しに協力しましたが、家賃や広さの都合でなかなか理想の物件が見つかりませんでした。
昨年、客の一人から「近くの飲食店が店じまいする」という情報が入りました。そのお店は、芝5丁目のバー「カドー」。慶大の教員の中にも常連がいる、三田の隠れた名店でした。
渡辺さんは早速お店に出向き、店主に店舗の引き継ぎを提案。旧店舗閉店後の今年1月、正式に移転が決まりました。
再スタートへ
もともとバーだった店内を大規模に改装し、再開店に向けた準備を続けてきました。小上がり席も設け、旧店舗の趣を再現することにこだわりました。
4月上旬のオープンを目指していましたが、新型コロナウイルスの影響で集客が見込めないため開店は延期に。6月に渡辺さんが亡くなり、閉店が決まりました。
今年3月、リニューアルオープンへ向け準備を進める渡辺さんは、慶應塾生新聞の取材に対してこう語りました。「壁いっぱいにペナントを貼るよ。これがつるの屋のアイデンティーだから。壁が足りなくなったら、天井に貼ろうかな」。
新店舗の開店まであと一歩だった「つるの屋」。多くの関係者に惜しまれながら、半世紀の歴史に幕を下ろしました。