手塚治虫最大のタブーの映画化は、作品内のテーマとしての闇と光の対比だけではなく、作品そのものに「闇と光」を生み出した。
16年前、ある島の島民が一夜にして失踪した事件は政府により隠蔽された。しかし、2人の少年が生き延びた。その1人の銀行員となった結城美智雄(玉木宏)の裏の顔は冷酷な復讐者。もう1人の神父となった賀来裕太郎(山田孝之)は結城を復讐から救済しようと苦悩するが、結果的に復讐に加担してしまう。結城は復讐を続けていくうちに、16年前の事件に繋がる兵器MW(ムウ)のありかを突き止める……。
手塚治虫の作品の中でも異色の、ピカレスク(悪)が主人公の本作。漫画のタブーを次々と打ち破ったがゆえに映像化は困難といわれていた。ひとつがその描写だ。結城と賀来は闇と光のように対比されて描かれるが、漫画では2人は同性愛の肉体的な関係にあり、闇と光が溶け合っていくようにも描かれる。
同性愛の描写は映画ではカットされた。確かに2人の関係を匂わせる演出はあり、背景には設定が生きているとうかがえる。しかし、手塚作品の中ではこの設定がメインだ。カットしてしまったのは映画版における「闇」といえる。
だが、映画版で「光」と言える部分もあった。1つ目は玉木宏の新境地開拓だ。玉木の演じる結城は、『ダークナイト』(08 年、米)におけるジョーカーのような、悪のカリスマ、ダークヒーローだ。さわやか系の役が多い玉木だが、見事にこの役を、悪のオーラから演じてみせた。
2つ目は、日本映画をハリウッド的な展開でうまくみせられた点だ。展開のために漫画の重要な要素が犠牲にはなったが、冒頭のシーンのアクションや、大胆なカメラワーク、スピーディな展開などハリウッド的な要素を取り入れている。今まで日本映画がハリウッド的なことをすると無駄にCGを多用し、失敗していたが、本作品では成功したといえるだろう。
MWというタイトルには、闇と光を象徴する2人の鏡のような関係を2文字で表しているといった、様々な想像ができる。それ以外にも作品を観て手塚治虫の意図を感じ取ってほしい。
(太田翔)