慶應義塾大学の名が、時の元号「慶應」にちなんでつけられたことをご存知だろうか。

 

慶應は明治の前、幕末最後の元号である。中国の古典『文選』に書かれている四字熟語「慶雲應輝(天の雲が私たちの存在を慶び寿いてくれるという意味)」から2文字をとったものだ。福澤諭吉が蘭学の家塾を開いた10年後、慶應4年に「慶應義塾」の名を得た。

 

では、「義塾」にはどういった意味があるのか。「義塾」も中国の言葉であるが、指導者育成的な性格を持つイギリスのパブリック・スクールと同じ意味の単語だとされる。紛らわしいようだが、パブリック・スクールは公立学校ではなく私立学校のことを指す。福澤はイギリス留学の際にパブリック・スクールを目にし、そのシステムを学んだ。

 

私立学校が「パブリック」とつけられた理由は3つあるとされている。

  • それまで家庭教師とプライベートに自宅学習をしていた上流階級の子どもたちが、学校というパブリックな場所に通うことになったから。
  • 学寮制によって、地域ごとだった教育が限定されなくなったから。
  • ペストの流行により死者を弔う牧師を多く育てる必要があり、門戸が大きく開かれたから。

つまり、いずれも「外に開かれる」という意味でパブリック・スクールと名づけられたのである。

 

「慶應」から「令和」へ。150年以上もの歴史を経て、今年度も慶應義塾は新入生を迎えた。いま、教育は当たり前のように存在しているが、長い歴史の上にここに在ることを感じながら学問に励むことが、我々大学生にとって大切なことであると私は思う。

 

(後河内清花)