今月1日、新元号「令和」が施行された。
出典は万葉集。日本の古典(国書)が出典となるのは、確認できる限り初めてのことだ。先月の新元号公表以降、万葉集に注目が集まっている。

先月12日、慶大文学部名誉教授で万葉集に詳しい藤原茂樹さんが慶應塾生新聞の取材に応じ、「令和」と万葉集について、そして慶應義塾と万葉集の歴史について語った。
(取材:太田直希)

―新元号の出典は万葉集でした。

万葉集は、現存する日本最古の歌集で、4500余りの歌が収められている。
その特徴としては、

  1. 宮城から鹿児島まで、幅広い地域の歌が収められていること
  2. 様々な社会階層の人々の様子が詠み込まれていること
  3. 序文もあとがきも存在せず、大友家持が編纂に関わっていたとみられてはいるものの、未だ謎が多いということ

などが挙げられる。

―「令和」の意味は。

「令」という文字は、「よい、清らかで美しい」という意味。もちろん「~させる」という使役の意味もあるが、この場面ではそのように使われていない。
そして「和」という文字は、「やわらぐ、なごむ」という意味。よい月に吹く風のやわらかさを描いている(★解説)。

万葉集を研究する者としてコメントすると、「令和」からは自然に親しみを持って生きる万葉びとの感性が垣間見える。嫌な「人間臭さ」がない、うまく収まった元号だ。
多くの人々が「令和」に好感を持った要因は、そこにあるのではないだろうか。

―新元号にも中国の古典の影響が色濃く残っているという指摘もあります。

当然、日本文学と中国文学は、歴史的に強い関連性を持っている。

ただし、日本は中国の文化を丸々移してきたわけではないという点には注意しておきたい。私たち日本人がもつ「日本的な土壌」に合わせる形で中国文化の受容が進んできた、ということだ。

日本文化は、中国文化の取捨選択・アレンジにより形成されたものであるといえるだろう。

―慶應義塾における万葉集研究には長い歴史があります。

その先駆けは、折口信夫(しのぶ)だ。
折口は、日本を代表する民俗学者で、1928年に慶大文学部の教授に就任すると、32年には慶大で博士号を取得した。

折口は、古代国文学の研究を通して、私たち日本人の行動原理を見出すことを目指した。その研究材料となったのが、万葉集だ。
折口は、万葉集に散りばめられた日本人の感情・心理を読み解くというアプローチによって、日本人の無意識の習慣を明らかにしていった。

―最後に塾生へのメッセージをお願いします。

「令和」という言葉の受け止め方は人それぞれで良いと思う。時を経て、私たちの心に適う言葉になっていくことを願う。
これからの未来を創っていく塾生諸君には、この「令和」という時代に良い中身を盛り込んでいってほしい。

そしてぜひ、万葉集を手に取ってみてほしい。
先ほども述べたように、万葉集には幅広い歌が詠まれている。様々な歌に接するうちに、自分になじむ、お気に入りの歌を見つけることができるだろう。

【プロフィール】

藤原茂樹(ふじわら しげき)

慶應義塾大学文学部名誉教授。専門は古代国文学・古代芸能。
NHK「日めくり万葉集」を監修。著書に、『藤原流万葉集の歩き方』、『万葉びとの言葉とこころ―万葉から万葉へ』など。

【★解説】「令和」の由来

原文
初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香

書き下し文
初春の令月にして、気淑く風和らぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。

現代語訳
初春の令き月で、気は淑く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。梅は鏡の前の貴婦人の白粉のようにほころび、蘭は帯飾りの後ろの香袋のように匂やかである。