「ルビーの指環」「赤いスイートピー」「硝子の少年」……。これまで400組を超えるアーティストの楽曲の作詞を手掛けてきた松本隆さん。中学から大学までを慶應で過ごしました。

今回は、慶應での思い出や、作詞するうえでの心構え、さらには故郷・東京について聞きました。〈2019.3.30更新〉「一問一答」を追記しました。

(聞き手=山本啓太)

中等部から大学まで 松本さんと慶應

―松本さんは中等部から慶應に通われていますが、「一貫校」で役に立ったと思うことはありますか。

一貫校での生活はすごくアドバンテージ。自由なものの考え方を学んだことが役に立った。あとは、受験勉強というほとんど役に立たない学問に使う時間がいらなかった。その時間の差は大きい。受験勉強が社会に出て役に立てばいいんだけどね(笑)。

―本はやはりよく読まれたのですか。

中等部や地元の図書館で読んでいた。みんなね、歳とって暇になったら本をたくさん読もうとするけど、それは大きな間違い。なぜかというと、目が悪くなるから。還暦をすぎると読めなくなると思う。それでも読むのは学校の先生くらい。

読書についてアドバイスするとしたら、若い時に「僕は〇〇系」って決めない方がいい。とにかく手あたり次第なんでも読む。雑食系(笑)。読んでいるうちにだんだん自分の趣味とかポリシーは淘汰されていくから。あんまり決めると狭い意味でのオタクになっちゃう。意外と多いんだよね、「僕はロックしか聴かない」とか。

―すると音楽面でも「雑食」でしたか。

僕らの世代は雑誌の付録のソノシートから入るのね。たいてい西部劇の映画音楽。おじいちゃんの家に行くと手回し蓄音機があった。最初にレコードを買ったのは中等部1年の時にペギー・マーチのシングル盤を買った。

中等部3年のときにビートルズがデビューした。初めてビートルズを聴いたのは中等部の教室なのね。友達が「すごい新人のバンドが出た」って『抱きしめたい』のシングル盤を持ってきたわけ。「でも学校でどうやって聴くんだよ」って言ったら、次の授業が英語のヒアリングで、教師がプラスチックでできた安いポータブルプレイヤーを持ってくる。先生に頼んだらかけてくれたんだよね。そして聴き終わったら先生が「wannaというのはwant to の略なんだ」と英語の授業が始まった。これが慶應だなと思った。

―松本さんが慶大に入学した1968年は学生運動が激化していたと思うのですが、当時の様子はどうでしたか。

(日吉並木道から第4校舎方面に向かう道が)立て看板で覆われて人が一人分しか通れない状態で、あとは迷路みたいな感じになっていた。ブロックしている側の学生たちが本当に入らなくてはいけない人だけ通して、あとの学生は入れないようにした。「ロックアウト」と呼ばれていたね。

―学生運動をどのような思いで見ていましたか。

昔も今もさ、あんまり政治では変わらないだろうなと思っている。特に暴力を使うとだめだなって思っていた。

新宿騒乱のとき、僕と同級生ではっぴいえんどのマネージャーをやっていた石浦(信三)と、見ておいた方がいいと思って現場に行って、催涙弾の煙をかぎ分けた。国会前のデモも歩道から見ていた。

―若いときのエネルギーは音楽に向いていたのですか。

政治は変えられないけど音楽なら少しは変えられるかなと思って頑張ってみたけれど、一生を通じて大して変わらなかった(笑)。まあ、やるべきことはやったよね。

日本語ロック論争の裏側 はっぴいえんどと内田裕也さん

―松本さんは1969年に「はっぴいえんど」を結成し、日本語ロックの先駆けとなりましたが、日本語でロックを歌うことについて、一番大変だったことは何ですか。

人間の頭の固さかな。「日本語でロックはできない、英語でやらなくちゃダメだ」という人たちが8割とか9割だった。日本語でロックをやると笑われるわけ。はっぴいえんどを結成する前にはグループサウンズというのがあって、その人たちは日本語でやってたんだけど、中身は歌謡曲だったんだよね。筒美京平とかすぎやまこういちさんが作っていた。外側だけかっこよく見えるわけ、とってもきれいで。でもやっぱり音楽は内面と直結していないといけないから、これはちょっと違うよなと思って。だから、そうじゃないものを作りたいと思ってはっぴいえんどを結成した。はっぴいえんどは東京であまり受け入れられなくて、関西の方が受け入れられた。それはなぜかわからないけど、結構東京っていうのは味方にもなったり敵にもなったりするかな(笑)。

「日本語ロック論争」っていうのも、『ニューミュージック・マガジン』(現・『ミュージック・マガジン』)の人たちが当時面白くおかしくでっちあげて、僕と内田裕也さんで対談させられたり……。でも内田裕也さんはあの当時ロック界のボス、僕はまだ20代前半だから。怖いよ、はっきり言って(笑)。

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