「アイドル戦国時代」と呼ばれ、数々のアイドルが百花繚乱、姿を現しては消えてゆく現代。この現象を「平成」という時代と結びつけて考えてみる。

アイドルとは「偶像」、つまり現実では昇華することのできないエネルギーを注入し、理想を投影する存在だ。アイドルを中心に日本の社会や思想について研究する筑波大の平山朝治教授に話を聞いた。

 

まずは昭和のアイドルについて考えてみよう。昭和は、歌謡曲というジャンルにおいて多くの「カリスマ的美少女」が活躍したと平山教授は指摘する。1970年代、参加者の投票をもってアイドルを選出する「スター誕生!」というオーディション型のテレビ番組がスタートした。森昌子、桜田淳子、山口百恵の「花の中三トリオ」のデビューをきっかけに、視聴者の大多数が求めるカリスマ的美少女が「テレビ」という箱物に映し出された。さらに「ザ・ベストテン」という音楽番組がヒットし、中森明菜、松田聖子、小泉今日子など、誰もが憧れる「スター」が生まれた。

徐々に「スター誕生!」の視聴率は下がり番組は終了。80年代後半の昭和が終わり平成に突入する過渡期、取って代わるように「おニャン子クラブ」というグループが登場する。しかしこのグループは、個人の活躍を目的としたいわゆる「ショーケース」的な試みであったと平山教授は指摘する。歌謡曲というジャンルでは、人々の求める「カリスマ的少女」は姿を消すようになるのだ。

つまり「アイドル不況」と呼ばれる時代に突入する。代わって別のジャンルで、確かな実力を持った天才的美少女が注目を浴びるようになる。10代で衝撃の米国デビューを飾ったバイオリニスト・五嶋みどりが代表的だ。そのイメージに触発され、フィクションの世界でも「美少女ブーム」が勃発する。例えば、父をライバル視する柔道家・猪熊柔(浦沢直樹の漫画作品『YAWARA!』の主人公)、破天荒な性格を持ちながらも天才的な才能を持つピアニスト・のだめこと野田恵(二ノ宮知子の漫画作品『のだめカンタービレ』の主人公)などが挙げられる。

一般大衆の人気に応えるというよりも、個人の才能を光らせることが最重要視される時代に突入したといえる。例えば、それまで作詞作曲家に提供された楽曲を歌っていた松田聖子や小泉今日子も、自分で曲を作るようになる。97年にデビューした「モーニング娘。」も、オーディション番組内のロック女性ボーカリストを決める企画で落選した少女が集まるグループであった。

そして2000年代、新たな文化圏から登場したのが「AKBグループ」である。最初に彼女たちのファンになったのは「アキバ系」と呼ばれる、ニッチなカルチャーを支持する人々である。秋葉原の劇場で定期的にパフォーマンスを行い、CDに握手会のチケットを封入するなど、アイドルとファンとの距離が格段に近づいた。また、主要メンバーに選ばれないメンバーを応援することができたり、総選挙への投票が難しい若者層は「坂道シリーズ(乃木坂・欅坂)」を選んで応援できるようになったと平山教授は指摘する。

つまり、大多数に求められているかどうかに関係なく、自分が好きなものを貫き、周りに勧める――「推す」ことができるようになったのである。誰もが唯一無二のカリスマ的少女という存在を、歌謡曲というジャンルで求めた「昭和」から一変し、それぞれがカリスマ性の光る美少女をカスタマイズし、応援する。つまり「推す」ことが可能になったこと。これが「平成」のアイドルの形といえるのではないだろうか。





【合わせて読む】

《平成30年の記憶》片山杜秀教授が語る、天皇陛下退位の真意とは

《平成30年の記憶》地下鉄サリン事件 今も潜むカルトの危険性

《平成30年の記憶》コラム 平成しかしらない塾生、ポスト平成を担う塾生

【特集特設ページはこちら】

《特集》平成生まれが見た、平成30年の記憶